久々の更新となってしまいました。
私事ですがレポートやらテストやら忙しくてですね。
それらもひと段落したので戻ってきました!
さて、先日非常に興味深い記事を見つけました!!
これはライブドアさんのニュースですが、朝日新聞さんなどにも書かれていました。
音楽教室での演奏を
著作権料徴収の対象とすることにした」
という事です。
ピアノ教室やバイオリン教室など、楽器を習う教室はたくさんあります。
有名なところで言えば、「ヤマハ音楽教室」とか。
そういった「楽器を習う」ための音楽教室で演奏される曲について、著作権料がかかる対象となるようです。
JASRACは「著作権法」という法律に基づいて方針を定めています。
その中にある「演奏権」が今回のキーポイント!
「演奏権」とは、公衆に聴かせることを目的に楽曲を演奏する権利のこと。
この「演奏権」は作曲者や作詞者が持っていると定められています。
「演奏権」があるため、他人の作った曲を歌ったり使ったり(カラオケとか)することに対して、著作権料が発生し、それをきちんと払うことで著作者に利益が行き届くシステムになるのです。この「演奏権」は創作者を守るための権利です。
今回の「音楽教室における演奏に著作権料が発生する」という方針の根拠としては、
音楽教室の生徒も「公衆」に当たると考え、先生が指導やアドバイスの一環として生徒に演奏することも「公衆に向けた演奏」と捉える。この演奏に関しても著作権料が及ぶべきである。
という事です。
JASRAC側は著作権料を年間受講料収入の2.5%として、来年の1月から徴収しようとしています。
この記事を見た時、もの凄い違和感を持ちました。
私自身ピアノ教室に通っていたからというのもありますが、これはいくら何でも酷すぎる。理不尽じゃないかと。著作権法を武器にして、音楽教室に対して「揚げ足取り」のような形でこじつけてお金を巻き上げようとしてるのではないかと。
調べていくうちに、この違和感が何なのか、少しわかってきました。
JASRACでは、他人の作った楽曲を演奏したり使ったりする時に、著作権料を払わなくても良いケースについて、次のように記しています。
次の3つの要件を“すべて満たす”場合、著作権者の許諾を得なくても上演・演奏・上映することができます。
①営利を目的としないこと
②聴衆又は観衆から料金を受けないこと
③実演家に報酬が支払われないことなお、この規定は、上演・演奏・上映する場合を対象としています。録音・録画やインターネット配信するときには適用されません。
著作権法38条から来ています。例えば、文化祭でバンドを組んでミスチルをやろう!となった時に、「ミスチルの曲を使わせてください」とJASRACに許可を得たりはしませんよね。
これは利益を得ることを目的としておらず、実際に演奏したからといってお金を受け取るわけではないからです。
このように、無利益ならば他人の曲を演奏したり使ったりしても問題はありません。
逆に言えば、「他人の楽曲を使用することで利益が発生するならば、著作権料を払わなくてはならない」のです。
そう考えると、「音楽教室での演奏に対して著作権料を取る」という行為自体には整合性があるように思えてきます。
なぜなら、音楽教室に通う時には必ず月謝を払いますね。音楽教室での演奏行為は利益を生み出すと言えなくはないのです。
しかしここで私は異を唱えたい!
「音楽教室って、
先生の演奏を『聴く』ために通っているのか?」
おそらく、先生の演奏を聴きたいから音楽教室に通ってる人なんていませんよね。
自分の楽器スキルを上げたいから、先生に教えてもらうために通うのが音楽教室ではないですか?
確かに先生も時々、曲を演奏します。でもそれって、生徒に演奏家として演奏を見せたいから弾くのではなく、お手本として弾くのではないですか?
生徒の上達のために、実演して見せることでイメージを掴みやすくするのが目的だと思います。
音楽教室の先生は、生徒に教えることによって利益を得るのであって、自分の演奏で稼いでいるわけではありません。JASRACの主張は、音楽教室の「生徒に教える」目的を考慮せず、目的を果たすための手段として行った「演奏」にしか注目していない。少々乱暴な気がする。
著作権料の徴収の対象になるのはおかしい。完全に両者は根本から食い違っているのです。これが違和感の原因でした。
(それに楽譜を購入する時点で著作権料を一部払っているのだから、これ以上徴収する必要なんてないのではと感じます。)
この件に関して、
「『音楽教室での著作権料の徴収』が日本の音楽文化を衰退させることになる」
というツイート等も散見されました。
これはおそらく、
著作権料を徴収するために教室の月謝が値上がり
→「楽器を習う」ことが難しくなる人が増える
→音楽教室の閉鎖
→音楽文化の衰退・音楽人口の減少
といったところでしょうか。
ただでさえ楽器を習うにはかなりのお金がかかります。
楽器も買わなくてはならないものが多いし、さらに高額な月謝まで…
となると、なかなか厳しいかもしれませんね。
音楽をやりたい人が機会を失うことにつながるという点では、音楽文化の衰退にも繋がるかもしれません。
著作者の権利を守り、音楽を発展させていく機関であるはずのJASRACが、音楽文化の破局を誘発しているとは…皮肉なものです。
音楽教室側は、猛反発しています。当たり前です。
今のところ、すべての音楽教室ではなく、限定的に行うようですが、
徴収されるところとされないところの差は何なんでしょう?これも疑問です。
音楽に携わっている端くれとして、看過することのできないニュースだと思ったので取り上げてみました。
日本の音楽文化を形作る上で最も重要な機関がこのような発表をすることがとても残念でなりません。
日本の音楽文化が廃れることがありませんように。
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追記(2017.04.26)
先日JASRACの方の講義を受けてきて、さらに疑問が深まりました。
JASRACは非営利団体なのですが、そんなに各所からお金を集めてどうすんだと。
いや、そりゃ非営利団体だって活動資金は必要ですけど、そもそも活動をするために資金を得るのが非営利団体であって、
その活動の方向性がずれていたら団体としての存在意義ってあるんですか?と思いました。
JASRACは「著作者の権利を守る」っていう軸はとてもよくわかります。これは音楽並びに著作物を発表する人間がいる限り必要なことです。
しかし「つくる人と使う人の架け橋」という点には違和感があります。
著作者(著作権保持者)が創作をする。利用者は著作者が作った作品を使用した二次創作を、JASRACを通して許諾を得て行う。この「創造のサイクル」を実現するのがJASRACですけど、じゃあ「二次創作」って何だって話になるともう簡単に線引きができない。
簡単にいうと、「二次創作を推進する」 と言っている割には推進してるようには見えないんですよね。本当にそんなこと考えてる?お金集めたいだけじゃない?
他の著作権管理会社の出現について反対してきたという話や、著作者死後の著作権保護期間の延長を視野に入れているという話を聞くと、果たしてJASRACが本当に音楽の権利を守っていると言えるのか、多くの人の創作活動の後押しをしていると言えるのか、甚だ疑問です。
私は以前音楽出版社さんのお話も伺ったことがあるのですが、JASRAC側は「音楽出版社を通すよりJASRACと直接取引した方が…」と仰られていて、「著作者の創作活動をマネジメントしている音楽出版社すらも差し置いて利益の追求ですか…著作者のことを軽視していないか?」と思いました。これはあくまで個人的な受け取り方なので、もしかしたら意図しない部分も含むかもしれません。
「著作者の権利を守る」というのは音楽文化を守るために必要ですけれど、守りすぎて存続しなくなったら何の意味もないんですよね。その存続の危機に加担してるのはJASRAC自身なんじゃないかなと思います。「教える側も著作権の徴収対象に」「音楽ライブでも使われた曲目を調査」…。
そのうち曲を再生しただけでも、あるいは道端で鼻歌を歌っただけでもお金取られるようになりそうですね。