冷却と熱源

突発的雑談回です。こんばんは。『Sounds Good!!』の真珠丸です。


最近の私の近況といたしましては、会社がなくなることになりました。以上です。


なんで毎月毎月こう話題に事欠かない会社なのか謎です。私に会社を見る目がなかったことを悔やむばかり。上司や役職の方々の退職に歯止めがかかっておりません。気が狂ってるぜ。でもこんな気の狂った状態の会社を見ることができる機会もそうそうないと思う、というか、そうそうあってもらっちゃ困るので、呑気に行く末を見守っています。


「呑気に行く末を見守っています」じゃないんだよ、どーすんの私の生活。

続けるか転職するかも含めて結構本気で考えなくてはいけない段階にきていて、毎日悩んでいるのが正直なところですが、まあこういうのは自分でしか答えを決められないので。思う存分悩もうと思います。


Official髭男dismの『Universe』という曲に

「嬉しい悲しいどっち? 正しい間違いどっち?主役を奪われ途切れた劇のように

立ち向かう逃げ出すどっち? 答えを決めるのはどっち? 分かってるんだけどね 不安で」

という歌詞があるのですが、まさにそのままです。

この曲も歌詞が良くてですね、ここでいう「劇」がまた2番のサビにかかってきてて・・・

という話はまた長くなってしまうので今回はやめておきましょう。


会社に対する怒りはそりゃあります。めちゃくちゃあります。周りの社員が皆苦しんでいるのが手にとるようにわかるから。

上からどんどん辞めていって、その次の役職の人たちが大変で困っている。

家庭がある人、仕事の都合上辞めるわけにはいかないという自負のある人、今までのうちの会社でなんとか頑張ってきた人、いろんな業務を改善しようと意見を出し尽力してきた人、そういういろんな人たちの気持ちを思うと、なぜこんなことができるのか不思議でなりません。人の気持ちを持った上位者がいるのか?この会社には。

就職氷河期の中でなんとか就職して、リーマンショックもコロナ禍も支えてきた人たちが人質に取られているようにしか見えない。あまりにも、だ。

とまあ、自分のことをさておいて他人のことばかり考えてしまい、どうしようもない悲嘆の気持ちに暮れてしまうことがあります。いや、自分の心配しなよ、お節介なやつだなと自分でも思いますし、そもそもついこの前まで休職していたような人間に心配される筋合いはないと思われそうですが。

こうやって他人がどうこうってことばっかり考えてるスーパーお節介人間だから休職することになるんだよなー。もう少し自分勝手に、適当に生きようぜ、ほんとに。

 


そういや前回読書の話をしましたが、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を読み終わりました。なんでもっと早く読んでおかなかったのかと後悔するような、素晴らしい物語でした。煌びやかで美しい表現の宝庫。それでいて悲しく儚く夢と現実が交錯する世界。個人的にどストライクでした。


それと、これは比較的新しい小説なのですが、中村文則さんの『何もかも憂鬱な夜に』を読みました。読みたいと思って買って、本棚の奥に眠らせていました。所謂積読というやつです。すごく良かった。

ここ最近また話題になっている「死刑制度」をテーマとしている本です。「自分」と「自分の命」は別物だという話が出てくるのですが、考えたこともない発想でびっくりすると同時に、とても納得できるような気がしました。あと、芸術が人間を救い得るものだという描写も、芸術を愛し携わる端くれとしては刺さるものがありましたね。又吉さんの解説まで含めて、読んで良かったと思えた本でした。


今は三島由紀夫の『潮騒』を読んでいます。よく小説の紹介で、「みずみずしい青春が云々」みたいなキャッチコピーがあるじゃないですか、あれ、全然意味わからないなと思っていたのですが、『潮騒』を読んでたら「こういうことか!」と腑に落ちました。三島由紀夫がすごいのか、青春が遠い過去になったからなのかはわかりませんが。

 

 

先日、新国立美術館で開催されている『庵野秀明展』に行ってきました。私はあまり映画を見ないので、庵野監督の作品に詳しいわけではないのですが、とても面白かったです。てっきり監督の携わった作品についてあれこれ展示されているだけのものなのかと思っていたのですが、全然違いました。

監督がどんなものに影響を受けてきたのか、どんな風に学生時代を送ってきたのかについても詳細に解説されていたのが非常に興味深かった。その展示を経て、監督やチームの方が書いた原画や設定資料、ラフ画、模型などが大量に並ぶブースへと続きます。

以前ジブリ美術館に行って宮崎駿監督の仕事についての展示を見た時にも思いましたが、プロの描くラフ画や設定資料、原画の持つ力は本当に強い。もうあの絵だけで超人だなと思わせる節があります。そして、エヴァにせよ他のアニメにせよ当然フィクションなわけで、そういう実在しないものを「見る」力を持っている人がいる、その事実をまざまざと見せつけられ、もうどうしようもないほど圧倒されてしまいました。

まるで実際にゴジラ使徒に立ち向かったことがあるかのように、エヴァを操縦したことがあるかのように、物語を作り上げるあのパワーはどこからくるのだろうか。

さらに、あの配色やデザインのセンス。ロボットアニメとしては異例ともいえる、あの紫と黄緑の奇抜な配色。今、緑と黒の市松模様を見たら『鬼滅の刃』の炭治郎が思い浮かぶように、紫と黄緑の組み合わせを見るとエヴァの初号機が思い浮かぶ方も多いと思います。それと、黒一面の背景に白で縦横に並ぶあのデザイン。あれを見ると「あ、庵野監督だな」とすぐわかります。シンプルで誰でも思いつきそうなのに、続けることで個性となる。なんてすごいんだろうか。感動し衝撃を受け、元気をもらえるような展示でした。

 


私はずっと「天才」なんてものはいないと思ってきました。思いたくないというのが実のところかもしれませんが。

最近、そんなことはないなと思うようになりました。自分の考えが大人になったからなのか、はたまた視野が広がり様々な知見を得た結果なのか。

今回の展示を見た時も「ああ、この人は本当に天才なんだ」とズシンと響いたような気がしました。だって、中学生の頃の絵とか見ただけでもうわかるんですよ、「普通」じゃない。

太宰治夏目漱石宮沢賢治を読んだ時にも、「ああ。この人たちは言葉を操る天才だ」と感銘を受けました。物語の構造や展開、情景描写から会話の隅々まで「その人らしさ」が施されている。言葉ひとつひとつが持っているパワーというか気というか魂というか、そういうものがあまりにも強い。

音楽だってそうです。スピッツの新曲『大好物』を聴いた時の、あの斬新なのにどこか懐かしい感じ。ティンパニを織り交ぜるセンスの良さ。BUMPの新曲『Small world』を聴いた時のタイアップ(映画『すみっコぐらし』)との親和性。完全に「すみっコがなんたるか」を理解しているとしか思えないサウンドと歌詞。特に好きなバンドを例に挙げましたが、他にも数え切れないくらい素晴らしい音楽、優れたアーティストが存在している。

 

この前『映画 すみっコぐらし 青い月夜のまほうのコ』を観ました。号泣。今回の主題は「夢」なのですが、また公開したばかりなので詳しい内容はまた後ほど。「夢ってなんだろう?」と考えるきっかけになるような話でした。こんな素晴らしい作品を作れる、すみっコぐらしの原作者のよこみぞ先生をはじめ、監督、脚本の方、スタッフさんに頭が上がりません。ありがとうございました。とてもいいものを観た。


世の中には自分が思っているより「すごい人」がたくさんいるんだということに気が付きます。


じゃあ、自分はどうなんだろうか?何の才能があるのだろう?と考えます。自分は自分をどんな人間だと思っているのだろうか?それは果たして正しいのか?他の人から見た自分は違うように見えているんじゃないか?

どんなに就職活動で自己分析や他己分析をしたところで、結局自分のことなんか全くわからない。自分の心の声を聞けと言われても、別に特に言葉を発しようとせず、黙ったまま。

なんで黙ったままなのか、いつから自分の心は声を発さなくなったのだろうと思案すると、自分が何をやりたいかということよりも、自分がどうすればいいかの答えばかりを探してきたことに起因しているのではないかという答えに行き着きました。他人優先の生き方の表れみたいな結論です。自分がどうしたいかではなく、周りを見て自分がすべきことを探す。勿論これも大事なことではありますが、ずっと続けていると自分がわからなくなる気がしてきます。そして、自分より「できる人」の出会いが自信を奪っていく。

「得意なことがあった事 今じゃもう思い出せないのは それを自分より得意な誰かが居たから」


私が「天才」なんて存在しないと思ってきたのは、その人の持つ能力を「天才」なんて一言で片付ける短絡的な思考が嫌いだったからです。

「天才の内訳は99%努力と 多分残りの1%も努力だ」

秋山黄色の『ナイトダンサー』という歌詞の一部です。「努力するのも才能」とよく言いますが、そんなことないとずっと思ってきました。何でもかんでも「才能」でまとめるなと。努力を怠る理由に才能を挙げるのが嫌だった。


今でもその気持ちは十分持ってはいます。でも「天才」の存在を認めたくなかったのは「天才」に出会っていなかったから、仮に出会っていたとしても「天才である部分」に気付けていなかったからだとも思うようになりました。その人が持つ「天才性」に完膚無きまでに叩きのめされた経験がなかったから。要は視野も知見も狭かったし、人生経験も少なかった。まあ今も別にめちゃくちゃ人生経験が豊富な訳でも、何かに特化した知識がある訳でもないんですが。でも最近は「天才って普通にいるよな」と思うようになってきたという話です。それをひしひしと感じたのが『庵野秀明展』であり、日々の読書体験や音楽体験であり、すみっコぐらしの映画でした。

 

じゃあ、天才の持つ力に完膚無きまで叩きのめされ、自分に「何も無い」ことに絶望したところで、自分はどうするのか?ここに戻ってきます。

 

3月のライオン』という私が大好きな漫画があります。私は島田開(島田八段)という登場人物が1番好きなのですが、この人は同期に宗谷冬司(宗谷名人)という将棋界のスーパースターを持ちながらも、負けじと懸命に努力を重ねる人物として描かれています。自分よりもずっと前を歩く宗谷名人に対して思いを吐露するシーンがあります。

 

「(宗谷名人との差が)『縮まらないから』といってそれがオレが進まない理由にはならん」

 

物凄く好きな言葉であり、ことあるごとに思い出す言葉でもあります。どんな天才がいようが自分よりすごい人がいようが、それが自分が頑張らない理由にはならない。自分にどんな才能があるのか、はたまた何もないのかは知らんけど、あろうがなかろうが自分のやりたいことをやりたいように真っ直ぐにやるだけだ。批判したり文句言ったりしてくる人もいるかもしれないけど、そんなものに負けている暇なんてない。

 

なんだか熱い気持ちを思い出しました。心がけているつもりだったけど、忘れていたのかも。

 

やってみたいと思っていたことをやってみよう。私はどんな形であれ「ものをつくる」ことが好きなので、いつか人の心を動かすようなものをつくる。絶対に。これは私の夢です。最初は上手くいかないことだらけだろうけど、いつか必ず。

 

 

(引用:『Universe』 作詞:藤原聡

『才悩人応援歌』 作詞:藤原基央

『ナイトダンサー』 作詞:秋山黄色)

 

(追記)

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