灯火

こんばんは!『Sounds Good!!』管理人の真珠丸です。

 

早いもので12月。しまった、今年も全然更新しないまま終わってしまう!と焦り、悪あがきでこの投稿を書いている次第です。

 

今年は育児に引越しに保活に復職と、去年に引き続きてんこ盛りな1年間でした。

そんな中唯一足を運ぶことのできたBUMPのライブ、be thereのさいたまスーパーアリーナ1日目。最高だったな…。出産を経て本当に久々のライブとなったので、人生で初めてライブに行ったあの日を思い出しました。あの時もBUMPでした。

すごい熱気、人、光に圧倒され、それ以上にBUMPの4人に圧倒されるあの感覚。目の前にいることは現実なんだけど夢みたいで息ができないあの感覚。大学生の頃はしょっちゅういろんなライブに行っていたのでライブ慣れしてしまい、こういう感動を味わったのは久しぶりでした。

「鼓動が星の数ほど混ぜ合って避け合って行き交って 迷路みたいな交差点 大丈夫 渡れるよ」

明日からもまた頑張ろう、頑張って生きていこうって思えました。ありがとうBUMP。そしてホームシック衛星も超楽しみにしております。

 

今年感謝を伝えたいコンテンツはもうひとつあります。ポケモンです。3月頃にバイオレットを始めました。情報解禁から楽しみすぎてその日に予約し、発売日に届いたにも関わらず、忙しすぎて手をつけられていなかったのですが、育児にも慣れてきて少し時間が作れるようになってきたので、息抜き程度に毎日プレイしていました。

めちゃくちゃ面白かった。楽しかった。どんなに大変でもポケモンが日々の楽しみになっていたおかげでまともに生活できていた。

ポケモンと自分が冒険している世界は画面の向こう側なんだけれども、確実に『私の冒険』でもある。これがポケモンの最大の面白さだとずっと思っています。現実にはいないけど、一緒に冒険した仲間たちは自分の傍にいる。初めて自分で買ったサファイアで相棒に選んだミズゴロウも、今回一緒に旅したクワッスも、一目惚れしてナッペ山を駆け回って一生懸命探したセビエも、皆、現実では目に見えないけれども、私の大事な仲間。

そして今作はさらに、登場人物まで私の大事な仲間になる。スカバイの良さ、今までのポケモンになくてスカバイ特有の心温まる感じは、私はここにあるんじゃないかなと思います。ストーリーの良さ、どこから進めてもOKな仕様は確かに新しくて、それらが画面の向こうでの冒険をより一層『私の冒険』にしてくれているんだけども、私はやっぱり登場人物が過去作含めても1番好きだった。

シリーズもかなり長くて、毎回個性的なキャラクターが沢山出てくるんだけど、ポケモンが主役のゲームだからどうしても人間の存在が軽視される部分があり、私はずっともったいないなと思っていました。そこで出てきた「ポケモンマスターズEX」というゲーム、これはもうまさにトレーナーにスポットが当たっているゲームでとても面白いです。ですが、あくまでこれはシリーズの『番外編』であり、本編でもっとこう、人間の魅力というか、主人公との絡みも含めて人にスポットを当ててほしいと思っていました。

ポケモンの登場人物たちは、だいたいは細かな設定を公表されないので、プレイヤーの想像に任せている部分が多く、これもまた面白い要素のひとつです。とは言え公式設定集とか出して欲しいが…。

ポケモンシリーズ、時を経て私たちが思い描く「ポケモン世界の冒険」、もっと言うならアニメで描かれているような冒険やバトルのあり方に近づいているんだけど、今作の近づき方が凄くて。理想に近づくとその分解像度が上がってディテールが気になったりするものなんだけど、それもあんまりなくて。あー生きてて良かった。私もパルデア地方を一緒に冒険できて本当に楽しかった。まだまだ追加コンテンツ、遊ばせてもらいます。

 

私は登場人物の中で一番ハッサク先生が好きでした。人生には必要ないと言いながら、それでも美術、というよりももはや「人生」みたいな授業を展開する先生…私も学生時代にこんな先生に出会いたかった。見た目も動作も使うポケモンも大きくて厳ついのに、何故か喋り方は腰が低く品がある、なんともちぐはぐで愛すべきキャラクター。明るいイメージとは裏腹にまあまあ苦しい過去を持つからか、集団よりも個を重んじるような発言が多く、歳上の割に柔軟な考え方を持っていてとても好き。

今作は本当に人間の解像度が高くて最高でした。あと、ジムリーダーや四天王たち。ジム戦や四天王戦など、その場でしか出てこない存在であることが多くて歯痒い思いをしていたんだけど、今回は随所に出てきたり、過去が明かされたり、今まで以上に人物に対して親近感を持てる作りになっていた気がします。それと自分以外の人間同士の人間関係とかも。そういう作り込みが欲しかったんだ、ずっと。

 

明るく楽しい1年だった!とは言いきれないけれども、明るく楽しいこともあったのは事実で、できればそういうことばかりを数えて大切にして生きていきたい。全体的に靄がかかったような、先の見えない時代。なんだか周りに敵ばっかりで常に何となく四面楚歌、みたいな気持ちになる今だからこそ、日々心が少しでも暖かくなるような小さな物事を数えて、自分の生き方を大事にしていきたいなと思います。

 

一応音楽カテゴリのブログらしく、備忘を兼ねて私が今年いっぱい聴いた曲でも紹介して終わります。順番に拘りはありません。では。

 

◎日常/Official髭男dism

個人的に勝手に『アポトーシス』の続編だと思っている。ドラマチックな展開があるわけでもない、どこか平坦な曲で物足りなさを感じる人もいそうだけれど、それも含めて「日常」。今年リリースされた楽曲の中で一番聴いたかも。

 

8ミリフィルム/アカシック

だいぶ昔の曲だけど、なんらかのプレイリストを聴いていた時に出てきてビビっときた。シンセサイザーが前面に出ながらもどの楽器もとても楽しい主張強めの動きをしつつ、でもそれが決して曲として崩壊しておらず、綺麗にまとまっている。キメが上手く機能してる故なのか。とにかく私はこういう曲が大好きなんだ。椎名林檎の『カプチーノ』や赤い公園の『NOW ON AIR』みたいな、とにかく音数が多くてパッと聴いた感じごちゃついてるんだけど、随所に散りばめられた秩序あるリズムが曲を引き締めている、こういう曲が。歌詞も詩的で好きだな。

 

◎more than words/羊文学

これは今年めちゃくちゃ各所で聴いた曲だと思う。内省的な歌詞、エモーショナルな音色がすごく刺さる。

 

◎青のすみか/キタニタツヤ

疾走感といい、歌詞といい、これを聴けば誰もが主人公になれるような、爽快な1曲。紅白にも出るのでこれも今年を象徴するような1曲だったと思う。個人的には、学校のチャイムの音がベースになった作りがとても粋だと感じた。前述の羊文学といい、『呪術廻戦』、曲すごい。未履修だけど面白いのかな。

 

◎PAINT/I Don't Like Mondays.

名曲揃いのワンピースのOPの中ではかなりサラッとした曲だけど、その軽快さが個人的にはものすごく好き。アニメのOPは聴く者を主人公にしてくれるからとても好きです。ワンピースも未履修なのはさすがに後悔しています。今から追いつけるのか…??

 

◎未来未来/スピッツ

今年『美しい鰭』が大ヒットしたスピッツ、すごい。すごすぎる。永久に最前線。

そんなスピッツの新アルバム『ひみつスタジオ』から私のお気に入りがこの曲。民謡の要素を絡めたこの曲は明らかにスピッツの挑戦のひとつであり、どこまで行ってしまうのか彼らは…という気持ちになる。

相変わらず歌詞は凄まじいセンスの光る言葉の羅列だし、バンドサウンドもキレッキレ。はあ、どこまですごいんだ。好きすぎる。

『Na・de・Na・deボーイ』や『まがった僕のしっぽ』みたいな、スピッツの変態性が凝縮された、アルバムだからこそ映える曲のひとつだと思う。

 

◎Make it better/THE CHARM PARK

ラジオで流れてきた時に気になった曲。曲名わからなくてアーティスト名を頼りに探し当てた。初めて聴いた時はてっきり洋楽だと思っていた。かっこいい、よりもcool!!って感じ。多分Nulbarichが好きな人には刺さるんじゃないかと思う。

 

◎光の跡/星野源

年末にまたとんでもない曲がリリースされてしまったな…。最近の星野源の曲は今までにも増して挑戦的というか、音楽としての固定観念や既成の枠組みを取り払ったかのような曲が多かった印象。そういう曲は得てして聴くために消費するカロリーも高いもんで、良いとか悪いとか好きとか嫌いとかもうよくわかんないな、みたいな気持ちになることもあったのだけど。一昨年リリースの『不思議』が個人的にはものすごくヒットしており、こういう曲もっと聴きたいなとずっと思っていた。星野源の描く音楽には常に絶望が付き纏う。煌めく音や歌詞と、暗く重い暗澹たる絶望のバランスがとても好きだ。ただ明るく楽しいだけではない音楽を、メディアではあれ程明るく振る舞う星野源が作る。どんな媒体や形態であれ、作品は人を映す鏡なのだと、その人の人間性がどうやったって滲み出るものなんだとひしひしと感じる。めちゃくちゃ好きです、この曲。そして星野源というアーティストも。それがこの曲を聴いて1番に感じた答えでした。

 

◎Flare/BUMP OF CHICKEN

全然今年の曲でもないのに、リリースされてからずっと聴いてるような。今年もBUMPの灯火のような暖かさにたくさん癒された1年でした。

 

その他もたくさんあるんだけど時間もないのでこの辺りで。

今年も1年よく頑張りました。来年も実り多い一年になりますように。

良いお年を。

 

よいお年を!

こんばんは!

『Sounds Good!!』管理人の真珠丸です。

 

今年は私生活でいろいろ変化があり、ほぼ更新できませんでした。が、このブログの存在を忘れたことはありません。来年はもう少し更新頻度を増やせればと思います。

 

今年も新旧いろんな音楽を聴きました。残念ながらライブに足を運ぶことは叶いませんでしたが、子どもが少し大きくなったらまたいろいろ観に行ければいいな。それまで、移り変わりの速い音楽シーンから取り残されないよう、流行りを追いつつ好きを極めるスタイルで、たくさんインプットしておこうと思います。

 

今年は実家に帰っている時にスペースシャワーTVM-ONなどを見まくっていたおかげで、近頃の流行りの曲は大抵口ずさめるようになりました。『ドライフラワー』、『シンデレラボーイ』、『ミックスナッツ』に『逆夢』…毎日何回も何回も聴いておりました。

 

2022年個人的に最も聴いたのはCreepy Nutsの『堕天』だったそう。めっちゃ好きなんだよなーこれ。サビに入って一転する盛り上がり方が超絶好み。最高。大好き。Rさんご結婚おめでとうございます。今年1番嬉しい芸能ニュースかもしれない。Creepy Nutsにはラジオでもたくさん笑わせてもらった一年でした。感謝。

 

ラジオといえば、出産してからは暇なくて遠ざかってしまったものの、Creepy NutsのANN(昇格おめです)をはじめ、霜降り明星のANNもはちゃめちゃに聞いたし、オードリーのANNもたくさん聞いた。マヂラブも。ネットラジオでは錦鯉のも面白かった。あとオモコロラジオはほぼ漫画犬オンリーでした。この前ラジオイベントやってたの気になってたのに時間なくて見られず。来年は時間作ってまた聞きたいな。ラジオは本当に面白い。

 

今年読んで面白かった本は、朝井リョウの『正欲』かな。普段から感じていることがそのままテーマになっていて、「世の中生きづらいよな」と思いながら読んでいました。都合の良い多様性。多数派の掲げる正義。そこから溢れてしまったらどう生きるのが正解なのか。

あと久々読み返した姫野カオルコの『ツ、イ、ラ、ク』はやっぱり最高でした。

 

出産終わってから1番最初に聴いたのがBUMP OF CHICKENの『バトルクライ』でした。まさに戦場のような毎日を送っていた最中、頑張らないといけない背中を「頑張れ」という言葉を使わずに押してもらえたような気がした。元々大好きな曲だったけど、さらに大切な曲になりました。ところでツアーが本当に当たらないんですけどなんで???

 

母がスピッツのファンクラブに入会したこともあり、今まで以上にスピッツの話で盛り上がった1年でもありました。母は50歳くらいからライブに行くようになり、50代半ばにしてフェスにも参加、遂に今年は(私が行けないので)1人でチケット取ってフェスやライブを楽しんでいた模様。自分がその歳になった時にそうやって新しいことを楽しめるだろうか?と考えると、この行動力は並大抵のものじゃないよなあと思います。見習わねば。母娘孫の3代でライブに行くことが目標だそうです。孫の分は一緒に抽選出してあげるけど、私の分は「自力で取れ」だそうです。無慈悲な!

 

2023年はどんな1年にしたいかな。

とりあえずもう少し余裕を持って過ごしたい。…無理か。まあ趣味や好きなことに時間を使えることはなかなか厳しいと覚悟しつつ、でも好きな気持ちは忘れないように生活していければと思います。

 

2022年も『Sounds Good!!』をご覧頂き、ありがとうございました!2023年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

ミルクコーヒー

久々の更新となりました。『Sounds Good!!』管理人の真珠丸です。

なんだかんだこのブログも6年続いているそうです。続いていると言っていいのか怪しい更新頻度ですけど。すみません。

 

このブログを開設したのが2016年の9月でした。当時大学3年生で、就活セミナー的なところに行った際、音楽関係の仕事をしている方から、「今はブログやSNSで積極的に発信していった方がいいよ」と言われて開設したのがこの『Sounds Good!!』です。

元々別のブログをやっていたのですが、もう少し他人が読むことを視野に入れたり、文章として面白いものにしたり、要はレベルアップしたコンテンツが書ければと思って作り直しました。なんという意識の高さ。今はそこまでの意識はなく、自分の経験と新旧問わない好きなコンテンツの話をダラダラとしているだけなのですが。

 

この6年間で何があったかなと思い返してみると、まあいろいろあったなと。

・就活(ヤバい会社の最終インターンでヤバい圧迫面接を受け、それがトリガーとなって心療内科に通う。中規模のIT企業に拾ってもらう。)

・大学卒業(まあまあ良い成績。)

・就職(休職と復職、会社の消滅を経て、千人規模の上場企業に吸収されるも辞めたいな〜と毎日思う。)

・結婚(コロナ禍で挙式はできず、入籍とフォトウェディングのみ実施。)

・出産(只今育休中。)

 

なんというか、人生の主要なイベント的なものがギュッと詰まっていた6年だったなと思います。

 

自分が大人になった気がします。私は結構前から「こども心を忘れない」というのを自分の生き方のテーマのひとつにしていました。

子どもは人生経験が少ないが故に固定観念とか既成の価値観がないじゃないですか。だから物事をありのまま見て、聞いて、触って、感じることができる。大人だとなかなかそうはいかなくて、「これは前に見たあれに似ているな」とか、何かしら自分の経験や知識の中に物事の共通項を探してしまう。で、それが「物事を純粋に楽しむ」ことを阻害することがある。勿論、事前知識があることで楽しみが広がることもあるんですけどね。

初めて美ら海水族館ジンベイザメとマンタを見た時のワクワク感や、初めてライブに行って生音を聴いた時の高揚感。そういう気持ちを大切にしながら、またこの先もそうやって新鮮な感動を体験できるようにと思い「こども心を忘れない」ようにしてきたのですが。

 

「こどもでありたい」と思うあまり、「大人になりたくない」という大人への反抗心を抱いていた部分もありました。中学・高校の頃なんかは特に、「大人は自分を守るために嘘をついたり見栄を張ったりして、子どもの言うことなんて聞いてくれない。だから大人になんかなりたくない。」みたいな気持ちになることも多々。

いざ自分が「大人」と呼ばれる年齢になってみて、「子どもの頃と何も変わらないな」と思いました。なんというかこう、明確に大人としての基準とか大人と子どもの境目とか、そういうものって全くなかったんだなと。私はお酒も飲めないしタバコも吸わない、ついでに車の免許もないので、そういったわかりやすい「大人だからできること」ができれば、もしかしたら大人であることを実感できたのかもしれないですが。なんだろうな、私ができる「大人っぽいこと」…。ブラックコーヒーが飲めるとかそのくらいしか思いつかない…。

大人である自分の中に、子どもとしての自分を留めたまま成長できるものなんだなとなんとなく嬉しくなりました。歳を重ねるのも悪くないな。勿論、大人としての考え方や立ち居振る舞いは社会に揉まれて否が応でも身につきましたが、そこに「こども心」を忘れずに生きていけるかは自分次第なんじゃないかなと思っています。いつまでも楽しい人間であれ、自分。

 

大人になって、学生時代とか、意外と尖りまくってたな、今はだいぶ丸くなったななんて思います。「大人の対応」ができるようになったというか。

私はTwitterをやっているのですが、数年前から今に至るまで時々同年代の知り合いから個人攻撃されるんですよね。エアリプで陰口&悪口。個人名伏せて。「いやこの歳にもなって?!そんなことされる?!」と思われるでしょうし私も思うのですが、されるんですよ。何が楽しくてやってるのかよく分からないけど。

「○○に遊びに行った!」とツイートすれば「彼氏できた瞬間変わりすぎて無理(意訳)」、「結婚しました!」とツイートすれば「中途半端なブスのくせに最初に結婚かよ(意訳)」、果てはこちらが何もしていなくても過去のあることないことを掘り起こして「(私の結婚だけは)祝う気が起きないしどうでもいいと思った。彼氏できた瞬間人が変わったので(意訳)」。

こんなことされる心当たりが全くないかと言われると、あれかな…と思う部分はあるのですが、別に他の人は同じように親交があるままなので、きっと根本は合わなかったけれど何となく今までは上手くいっていたのが、何かの拍子にズレたんだろうなくらいに思っています。

学生時代にこんな書かれ方をしていたら間違いなくエアリプで叩き返して泥沼化していたと思います。シンプルに腹が立つので。しかも大抵憶測での誹謗中傷なので、事実と異なることがまあまあ書かれている。

最近はというと、腹が立つのは変わらないのですが、そこから一歩引いて客観視できるようになりました。陰口とか悪口って、言う側の欲求の裏返しなので、「ああ、この子は本当は彼氏と遊びに行きたいけど行けないから攻撃してくるのね」とか、「結婚したいけどできないし他人の幸せが許せないから、言われたら傷つくような言葉を選んで水を差すように仕向けてきたんだな」とか、「本当にどうでもいいと思ってたら、気にもとめないしわざわざ書かないよね、内心は気になって気になって仕方ないんだろうな」とか、そうやって人間分析をすることで多少は怒りも収まるような気がします。気がするだけでまあ普通に腹立ちますけどね。

一時はこんな風に悪口を言われようとも「嫌われるのは怖い」と思って悶々としたり、「こうは言ってるけど話せばわかるはず」と思って直接連絡したりしていましたが、無視したり関係を絶ったりすることで自分を守ることも大事だと考えるようになりました。万人に好かれるなんてどだい無理な話ですし、自分を悪く言ってくる人よりも自分と波長の合う人や自分の好きな人との時間を大切にした方がいいに決まっている。人間関係において楽に生きる術を身につけつつあります。

 

学生時代思い描いていたライフプランと今の生き方が大きく乖離しているように思います。といっても、別に学生時代だって「○○歳までに結婚して、○○歳までに子どもを産んで…」みたいにしっかりしたプランなんて立てたことないですが、「結婚?別にしなくてもいいかな。友達と家族がいて楽しく過ごせればいいや。子どもも別に欲しいとは思わないな、自分の時間なくなって大変そうだし。でももしするとしたら、30歳くらいかな、親がそのくらいでしてたから。」とぼんやり考えていました。実際は(自分の中では)だいぶ前倒しに結婚も出産も経験することになりました。でも別にそれで「人生設計が狂った!」とかは全く思いません。

学生時代と現在の自分を比べて変わったなと思うところがあと2つあります。1つ目は親の影響力の大きさ。自分にとって最も身近な存在である親が、どうしても自分の人生のロールモデルになってしまうのはしかたないとして、それにしても自分の頭で考えて選択してこなかったなと反省しています。さっきのもそうですよね、親がこのくらいの歳で結婚したから自分も、みたいな。

うちの親は元々子どもの意見や希望を尊重する親なので、ああしろこうしろ言われた記憶はないし、習い事とか志望校とかそういうことも全部やりたいようにやらせてくれていました。そんなに物凄く叱られたり衝突したりした記憶もないです。幼い頃にムシャクシャして弟を蹴り飛ばしたとか、社会人にもなって不注意で牛乳パックひっくり返してキッチンマットをダメにしたとか、200%私に非がある時に怒られた覚えしかありません。とても素晴らしい親だと思うし信頼しています。その信頼度が高すぎるからこそ、些細なことでも相談してそのまま鵜呑みにすることが多かった。

実家を出た頃から、だいぶ自分で考えて生きていけるようになりました。ほんとに小さな積み重ねなんですけど、例えば唐揚げの作り方。親は1度しっかり揚げればOKと言っていたけれど、作ってみたら2度揚げした方が美味しい、とか。米は無洗米でも十分美味しい、とか。ハンバーグは少し蒸し焼きにした方が自分の好みだな、とか。食べ物の話ばかりですね、すみません。でもそうやって「親がやっていたのとは違う方法」を見つけることで、少しずつ自立できていったのかもしれないですね。

 

2つ目は自分の優先順位。学生時代は「世界の中心はこの自分!」って感じで生きていました。人生の主人公はこの私。

結婚して出産して育児するなんて「普通の人生」、つまらないな、もっと面白い生き方がいいな。そう思っていました。だって夫や子どもに自分の時間を割くのはもったいないし。自分の人生なんだから自分のやりたいことをやりたい。

その考え方は今でも大きくは変わっていなくて、ただ「自分のやりたいこと」が「自分ひとりでやりたいこと」から「自分の仲間とやりたいこと」に変わっていったのだと思います。そうなると当然チームプレイなので、自分と同じかそれ以上に仲間のことが大切になる。私の場合はその仲間が家族だった。なので、今は自分以上に家族のことが大切に思えるようになりました。自分を犠牲にしてもこの人たちのことを守りたいとすら思えます。

あと、これは経験して分かってきたことなのですが、結婚して出産して育児するのは全然「普通の人生」じゃないしつまらなくもないです。簡単に得られる人生でもなんでもないです。親をはじめ、周りにいる人がそういう人生を辿ってきたからそう見えるだけで、皆「普通」の顔をして大変な苦労と努力を積み重ねた上に成り立っていたのだと痛感しています。若い頃の自分の考えがいかに浅薄だったか。

自分はなんで結婚や出産をしようと思ったのだろう?よく考えたら、よく考えないままここまで来た気もします。結婚については、「プロポーズされたから承諾した」っていうのが直接の理由ではあるんですが、じゃあなんで承諾したんだろう?

「笑ったり泣いたり あたり前の生活も 二人で過ごせば 羽も生える 最高だね!」

スピッツの『夢追い虫』の歌い出しの歌詞ですが、まさにこんな感じです。「羽も生える」という部分については、地を歩くことしかできなかった人間が羽を手に入れて空を飛べるようになる、つまり「行けなかったところに行けるようになる」みたいな解釈です、個人的には。

別にひとりで過ごしたって楽しいし全然大丈夫だけど、この人とだったら今まで知らなかった感情を知ったり、考えもしなかった生き方を送ったりすることができると思ったから。それは、多分他の人だったら代替できないと思ったから。

「踵が4つ 煉瓦の道 明日と昨日の隙間で歌った

全てはかけがえのないもの 言葉でしか知らなかった事」

(宇宙飛行士への手紙 / BUMP OF CHICKEN)

 

出産については、これも「妊娠したから出産した」とそれに尽きるのですが、じゃあなぜ産む選択をしたのか。結婚して2年間は2人の生活を送ろうと決めていたんだけど、私が妊娠しにくい体質かもしれないということが判明した直後での妊娠だった。もう最初で最後の可能性が高いと思い、産もうと決めた。検査薬で陽性が出た時は、どうしよう…大人にもなって牛乳全部零してキッチンマット丸ごとゴミ箱行きにするような、人類の末端みたいな人間に親など務まるのだろうか…という不安の方が大きかったけど、エコー撮ってもらって自分の目でまあるいたまごみたいな赤ちゃんと動いている心臓を見た時に、何があっても絶対に産もうという強い決意に変わった。そんな感じです。妊娠期間はいろいろ辛かったけれど、頑張って耐えて産んで良かったし産まれてきてくれてありがとうと毎日思っている。どんなに泣いても可愛くて仕方ないし、自分なんかよりも遥かに大切な存在となっています。

「柔らかな心を持った 初めて君と出会った 少しだけで変わると思っていた 夢のような」

(フェイクファー / スピッツ)

我が子に初めて出会った時の気持ちそのものです。結婚しようが親になろうが絶対に自分は変わらないと思っていたのに。あれだけ自分中心の生き方をしていたのに。君に出会ったあの時から様変わりしてしまった。まあまだ親と言うには未熟極まりない存在ですが、私の母曰く、「親っていうのは子どもからいろんなことを学んで親になる」そうなので、子どもからたくさん学ばせてもらおうと思っています。

 

ああ、気付いたらだいぶ歳を重ねていたんだなあ。まったく成長も進歩もしていないような気がしていたけれど、意外といろんな経験をして、その時々で考えて感じて、ここまでやってきたんだなあ。まだ気持ち的には20歳くらいで周りに甘えて生きている気分だったけど、ちゃんとやれてるような気になってきました。まさか27歳の自分がこんな風になっているなんて、多分10年前、いや5年前には考えられなかったでしょうね。思ったよりちゃんと自分のなりたかった大人に近づけているような気もするし、想像しなかったような人生を送っているような気もします。いずれにせよ、結構楽しく日々を送れています。

 

「また何度も妬むだろう もう一つのlife送れたはずだって

だがいつかこうも歌うだろう ジャズコにプラグぶっ差して

『我が人生に悔いはない』ってさ」

(Spy / [Alexandros])

 

「あの時違う選択をしていたら…」「もしこうしていれば…」そう思う日が来るだろうし、覚えていないだけで今までにもたくさんあったかもしれない。でも、時間が戻るわけでもあるまいし、自分が選んできた道が、そしてこれから進む人生が、最善最高のものだって思うしかないし、そう思えるように生きていきたい所存です。

 

空腹で泣き喚き暴れた我が子が鼻の頭にミルクの水滴をつけています。その間の抜けた、でも可愛らしい姿を見て、これから出逢う幸福をできる限り取り零さないようにしよう。そう思いました。

 

 

 

(追記というか余談というか)

私がダメにした実家のキッチンマットは、布製じゃなくて…なんていうんだろう、厚みがあってちょっとふかふかしてる、水拭きとかできるマットレス…伝わります…??あれです。貰い物らしいけど割と高そうなやつでした。

今住んでる家のキッチンマットは布製のものにしていたのですが、信じ難いくらい毛羽立ってきたので新しいのを先日買いました。私がダメにしたやつと同じような素材でした。「今回こそは絶対にダメにしないぞ!」と心に決めて某緑と白の大手家具チェーン店のネット通販で購入、届いた日はぎっくり腰で実家にて静養中だったため、帰宅しルンルン気分でマットを取り替えました。白地に青の模様でとても私好みの色合い!料理をする度に気分が上がるし良いぞ!!

その日の夕方、お釜に入れようとした米を零しました。ぎっくり腰やってる身体で地を這いながら白地のマットレスの上に散らばった米をひと粒ひと粒回収しました。何やってるんだろう、ほんとに。

 

今年もお世話になりました!

どうもこんにちは。真珠丸です。

 

2021年、もうあと数時間で終わりですね。

今年の良かった曲はまとめきれませんでした、いつものことですが。

でも、この1年間も音楽に支えられた1年間でした。

 

昨年に引き続き、コロナ禍で思うような生活ができない1年でもありました。ワクチン接種が進み、感染者や重症者は減り、後半は多少は外出ができるようになりましたが、それでもコロナ禍以前と比べると、まだまだ制限も多く、気の抜けない日々が続いています。

やりたいことはたくさんあるし、遊びに行きたい場所はたくさんあるし、会いたい人もたくさんいるのに、それを達成することのできない状態がこうも続くと辛いものがあります。ストレスも溜まりますしね。

一方、やらなきゃいけないことは山ほどある。仕事もそうだし、病院も行かなきゃだし、自分の人生どうするの?みたいなことも考えないといけない。なかなか大変な一年でした。でも、自分と向き合えた時間でもあり、それは貴重だったのかなとも思います。

 

社会人になってから、一年間があっという間に過ぎていく気がしています。同じような日々の繰り返しだからか、刺激の少ない毎日を送っているからか。来年はもっと1日1日を大事に生きていきたいな、なんて思います。

 

2021年残りの数時間、楽しみなことはありますか?年末のご馳走や年越しそば、テレビや年越しイベントなど、それぞれの年末の過ごし方があるかと思います。

私は毎年紅白歌合戦を見てのんびり過ごしているのですが、今年は例年以上に楽しみにしております。私の人生ともいうべきバンド(何それ)、BUMP OF CHICKENが2度目の出場ということで、今からソワソワしています。

プライベートで色々ありまして、この12月は特にBUMPの音楽ばかり聴いて過ごしていました。好きな曲をぶち込んだプレイリストも作りました。全部聞くと5時間以上かかる超大作。そのうちここでも言及できたら良いなと思っているのですが。

BUMPの音楽と出会って、今年で10年が経ちました。彼らの活動は25周年を迎えているので、まだまだ新参者なのですが、それでもこの10年間、彼らの音楽に支えられて生きてきました。

BUMPの音楽は24時間365日常に聴いていたい!というのではないです。あくまで個人的にはですが。自分に何かあった時、元気をもらいたい時、誰かに傍にいて欲しい時、そんな人生の節目節目で何か聴きたいな、何を聴こうかなと考えた時に自ずと選びたくなる、そんな音楽です。だから、私の人生はBUMPの音楽なのです。

 

結局また性懲りも無くBUMPについて語ってしまいました。今日紅白で披露されるのは、朝ドラの主題歌となった『なないろ』と未だ色褪せぬ誰もが知る大名曲『天体観測』だそうです。アツすぎる。

 

「ヤジロベエみたいな正しさだ 今この景色の全てが

笑ってくれるわけじゃないけど それでもいい これは僕の旅」

『なないろ』で一番好きな歌詞です。

 

来年も他人に振り回されず、自分を大事に生きられますように。

自分と、自分のまわりにいる大事な人を、大事にして生きられますように。

皆が健康に過ごせますように。

 

2021年もお世話になりました。瑣末なブログですが、今年も読んでくださった皆様、どうもありがとうございました。来年も何卒よろしくお願いいたします。幸せ溢れる1年となりますように。

 

良いお年を。

 

 

(追記)

今年行った唯一のライブでした。楽しかった。最高。

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2021年良かった曲やよく聴いた曲を語る回 No.1 (ユアネス、YOASOBI、My Hair is Bad、Nulbarich、Vaundy)

どうも、こんばんは。『Sounds Good!!』管理人の真珠丸です。

 

2021年も残すところ少なくなってきたので、個人的によく聴いた曲(2021年以外にリリースされた曲も含む)や今年良かった曲の話でもしようと筆をとった次第です。何回かに分けて書きます。のんびりちょっとずつ更新します。多分。いつもみたいに何千字も書かないです。気軽に見てね。

 

ヘリオトロープ/ユアネス


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ライブver.もあるようです。めちゃ良い。演奏も歌も上手い。


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ヘリオトロープ』って何?と思ったあなた。私も最初は不思議な曲名だという印象でした。これは植物の名前で、どうやら香水にも使われる花のようです。神話にも出てきます。名前には「太陽に向かう」という意味があるらしく、この曲の歌詞を統括する上でしっくりくる。曲名のセンスが素敵。

 

この曲のどこが好きかという話ですが、まず歌詞が美しい。似たような音や言葉を連ねて続く歌詞の中に垣間見える微細な心情と時間の変化。例えば「溢れ出してしまうの」「溢れ出してしまうのだろう」「溢れ出してしまったのだろう」の部分とか。止めどなく溢れるのは感情か涙か。またはどちらもか。「ヘリオトロープ」の花言葉は「夢中」「献身」であるということを知ると、このタイトル以外考えられないとすら思えてしまいます。

「〇〇しまえば 〇〇と思ってたのに(分かってたのに)

ああどうして〇〇しまうのだろう」

サビが基本的にこの構図で、過去の自分を省み、後悔し絶望し、感情が動く様を紡いでいます。きっとそれほど大きな「何か」に出会ったのでしょう。それは人かもしれないし、ものかもしれない。とある出来事なのかもしれない。

「わからないまま ここまできたんだ 足跡も付けぬまま」じゃあ、これからはどうするのだろうか。過去の自分を否定されるかのような何かに出会ったこの先、どうやって生きていくのだろう。その先は希望か絶望か。このストーリー性が堪らない。この曲をテーマに小説が一本書けてしまうのではないかと思うような曲です。

ライブver.を見るとなおよくわかりますが、繊細な演奏、スケールの広がるようなシンセや同期、透明感のある美しいボーカルがまたこの曲にぴったりなのです。

このアルバムが発売されたのは12月に入ってからで、「そろそろ今年良かった曲でもまとめっかな」と思っていたところに彗星のごとく現れたユアネス。個人的今年どハマりソングとして三本の指に入るくらい聴き倒しています。ちなみにあとの2曲はヒゲダンとBUMPです。並んでも遜色ないぜ!最高。

ちなみにその直前にリリースされた『49/51』で「このバンドめちゃくちゃいいな」と思っていたところでの『ヘリオトロープ』なので、今注目しているバンドNo.1です。今後にめちゃくちゃ期待しております!

 

 

優しい彗星/YOASOBI


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ストーリー性の鬼です。もはや説明不要のアーティスト、YOASOBI。2021年も止まらぬ快進撃。出す曲出す曲話題になる、令和のポップアイコンとも言うべき存在です。『怪物』も『群青』も『ラブレター』も『三原色』も良いのだけど、私が一番聴いたのはこの『優しい彗星』でした。歌詞の世界観、登場人物の関係性。これは物語ベースで作られた曲だったと思いますが、逆にこの曲から物語を作りたい。私が一番好きなタイプの小説になる気がします。

 

予感/My Hair is Bad

「マイヘアがサブスクにある?!?!」と思って聴いたらとても良かった。これは2020年の曲ですが、まさに2020年を凝縮した曲でした。この曲のすごいところは各歌詞の語尾というか、文末というか。ずーっと過去形です。最後の「君からの電話を待ってる」ここだけ現在形。なんだこの表現力。すごい。普通ここまで過去形ばかりの歌詞だと違和感持ったり不自然さが出る気がするのですが、それを微塵も感じさせないのがまたすごい。back number、クリープハイプMy Hair is Badを三大ラブソングロックバンドとこっそり呼んでいます。

 

ASH feat. Vaundy/Nulbarich, Vaundy


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「好き×好き=好き」だった。今年唯一行ったライブ、JAPAN JAM 2021でセッションを見られたのがめちゃくちゃアツかった。私は数年前からNulbarichがかなり好きで、去年あたりから注目して追ってたのがVaundyだったので、この2アーティストの共演は最高でしたね。火花散ってた。Nulbarichは『It's Who We Are』をよく聴いた一年でした。世界が広がっていくかのような秀逸な曲展開と心地よいギターのカッティングに心躍ります。Vaundyは『花占い』と『東京フラッシュ』と『不可抗力』をよく聴きました。浮遊感が夜に馴染んで、会社帰りの夜道に聴きたくなります。

 

 

No.2に続く。

冷却と熱源

突発的雑談回です。こんばんは。『Sounds Good!!』の真珠丸です。


最近の私の近況といたしましては、会社がなくなることになりました。以上です。


なんで毎月毎月こう話題に事欠かない会社なのか謎です。私に会社を見る目がなかったことを悔やむばかり。上司や役職の方々の退職に歯止めがかかっておりません。気が狂ってるぜ。でもこんな気の狂った状態の会社を見ることができる機会もそうそうないと思う、というか、そうそうあってもらっちゃ困るので、呑気に行く末を見守っています。


「呑気に行く末を見守っています」じゃないんだよ、どーすんの私の生活。

続けるか転職するかも含めて結構本気で考えなくてはいけない段階にきていて、毎日悩んでいるのが正直なところですが、まあこういうのは自分でしか答えを決められないので。思う存分悩もうと思います。


Official髭男dismの『Universe』という曲に

「嬉しい悲しいどっち? 正しい間違いどっち?主役を奪われ途切れた劇のように

立ち向かう逃げ出すどっち? 答えを決めるのはどっち? 分かってるんだけどね 不安で」

という歌詞があるのですが、まさにそのままです。

この曲も歌詞が良くてですね、ここでいう「劇」がまた2番のサビにかかってきてて・・・

という話はまた長くなってしまうので今回はやめておきましょう。


会社に対する怒りはそりゃあります。めちゃくちゃあります。周りの社員が皆苦しんでいるのが手にとるようにわかるから。

上からどんどん辞めていって、その次の役職の人たちが大変で困っている。

家庭がある人、仕事の都合上辞めるわけにはいかないという自負のある人、今までのうちの会社でなんとか頑張ってきた人、いろんな業務を改善しようと意見を出し尽力してきた人、そういういろんな人たちの気持ちを思うと、なぜこんなことができるのか不思議でなりません。人の気持ちを持った上位者がいるのか?この会社には。

就職氷河期の中でなんとか就職して、リーマンショックもコロナ禍も支えてきた人たちが人質に取られているようにしか見えない。あまりにも、だ。

とまあ、自分のことをさておいて他人のことばかり考えてしまい、どうしようもない悲嘆の気持ちに暮れてしまうことがあります。いや、自分の心配しなよ、お節介なやつだなと自分でも思いますし、そもそもついこの前まで休職していたような人間に心配される筋合いはないと思われそうですが。

こうやって他人がどうこうってことばっかり考えてるスーパーお節介人間だから休職することになるんだよなー。もう少し自分勝手に、適当に生きようぜ、ほんとに。

 


そういや前回読書の話をしましたが、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を読み終わりました。なんでもっと早く読んでおかなかったのかと後悔するような、素晴らしい物語でした。煌びやかで美しい表現の宝庫。それでいて悲しく儚く夢と現実が交錯する世界。個人的にどストライクでした。


それと、これは比較的新しい小説なのですが、中村文則さんの『何もかも憂鬱な夜に』を読みました。読みたいと思って買って、本棚の奥に眠らせていました。所謂積読というやつです。すごく良かった。

ここ最近また話題になっている「死刑制度」をテーマとしている本です。「自分」と「自分の命」は別物だという話が出てくるのですが、考えたこともない発想でびっくりすると同時に、とても納得できるような気がしました。あと、芸術が人間を救い得るものだという描写も、芸術を愛し携わる端くれとしては刺さるものがありましたね。又吉さんの解説まで含めて、読んで良かったと思えた本でした。


今は三島由紀夫の『潮騒』を読んでいます。よく小説の紹介で、「みずみずしい青春が云々」みたいなキャッチコピーがあるじゃないですか、あれ、全然意味わからないなと思っていたのですが、『潮騒』を読んでたら「こういうことか!」と腑に落ちました。三島由紀夫がすごいのか、青春が遠い過去になったからなのかはわかりませんが。

 

 

先日、新国立美術館で開催されている『庵野秀明展』に行ってきました。私はあまり映画を見ないので、庵野監督の作品に詳しいわけではないのですが、とても面白かったです。てっきり監督の携わった作品についてあれこれ展示されているだけのものなのかと思っていたのですが、全然違いました。

監督がどんなものに影響を受けてきたのか、どんな風に学生時代を送ってきたのかについても詳細に解説されていたのが非常に興味深かった。その展示を経て、監督やチームの方が書いた原画や設定資料、ラフ画、模型などが大量に並ぶブースへと続きます。

以前ジブリ美術館に行って宮崎駿監督の仕事についての展示を見た時にも思いましたが、プロの描くラフ画や設定資料、原画の持つ力は本当に強い。もうあの絵だけで超人だなと思わせる節があります。そして、エヴァにせよ他のアニメにせよ当然フィクションなわけで、そういう実在しないものを「見る」力を持っている人がいる、その事実をまざまざと見せつけられ、もうどうしようもないほど圧倒されてしまいました。

まるで実際にゴジラ使徒に立ち向かったことがあるかのように、エヴァを操縦したことがあるかのように、物語を作り上げるあのパワーはどこからくるのだろうか。

さらに、あの配色やデザインのセンス。ロボットアニメとしては異例ともいえる、あの紫と黄緑の奇抜な配色。今、緑と黒の市松模様を見たら『鬼滅の刃』の炭治郎が思い浮かぶように、紫と黄緑の組み合わせを見るとエヴァの初号機が思い浮かぶ方も多いと思います。それと、黒一面の背景に白で縦横に並ぶあのデザイン。あれを見ると「あ、庵野監督だな」とすぐわかります。シンプルで誰でも思いつきそうなのに、続けることで個性となる。なんてすごいんだろうか。感動し衝撃を受け、元気をもらえるような展示でした。

 


私はずっと「天才」なんてものはいないと思ってきました。思いたくないというのが実のところかもしれませんが。

最近、そんなことはないなと思うようになりました。自分の考えが大人になったからなのか、はたまた視野が広がり様々な知見を得た結果なのか。

今回の展示を見た時も「ああ、この人は本当に天才なんだ」とズシンと響いたような気がしました。だって、中学生の頃の絵とか見ただけでもうわかるんですよ、「普通」じゃない。

太宰治夏目漱石宮沢賢治を読んだ時にも、「ああ。この人たちは言葉を操る天才だ」と感銘を受けました。物語の構造や展開、情景描写から会話の隅々まで「その人らしさ」が施されている。言葉ひとつひとつが持っているパワーというか気というか魂というか、そういうものがあまりにも強い。

音楽だってそうです。スピッツの新曲『大好物』を聴いた時の、あの斬新なのにどこか懐かしい感じ。ティンパニを織り交ぜるセンスの良さ。BUMPの新曲『Small world』を聴いた時のタイアップ(映画『すみっコぐらし』)との親和性。完全に「すみっコがなんたるか」を理解しているとしか思えないサウンドと歌詞。特に好きなバンドを例に挙げましたが、他にも数え切れないくらい素晴らしい音楽、優れたアーティストが存在している。

 

この前『映画 すみっコぐらし 青い月夜のまほうのコ』を観ました。号泣。今回の主題は「夢」なのですが、また公開したばかりなので詳しい内容はまた後ほど。「夢ってなんだろう?」と考えるきっかけになるような話でした。こんな素晴らしい作品を作れる、すみっコぐらしの原作者のよこみぞ先生をはじめ、監督、脚本の方、スタッフさんに頭が上がりません。ありがとうございました。とてもいいものを観た。


世の中には自分が思っているより「すごい人」がたくさんいるんだということに気が付きます。


じゃあ、自分はどうなんだろうか?何の才能があるのだろう?と考えます。自分は自分をどんな人間だと思っているのだろうか?それは果たして正しいのか?他の人から見た自分は違うように見えているんじゃないか?

どんなに就職活動で自己分析や他己分析をしたところで、結局自分のことなんか全くわからない。自分の心の声を聞けと言われても、別に特に言葉を発しようとせず、黙ったまま。

なんで黙ったままなのか、いつから自分の心は声を発さなくなったのだろうと思案すると、自分が何をやりたいかということよりも、自分がどうすればいいかの答えばかりを探してきたことに起因しているのではないかという答えに行き着きました。他人優先の生き方の表れみたいな結論です。自分がどうしたいかではなく、周りを見て自分がすべきことを探す。勿論これも大事なことではありますが、ずっと続けていると自分がわからなくなる気がしてきます。そして、自分より「できる人」の出会いが自信を奪っていく。

「得意なことがあった事 今じゃもう思い出せないのは それを自分より得意な誰かが居たから」


私が「天才」なんて存在しないと思ってきたのは、その人の持つ能力を「天才」なんて一言で片付ける短絡的な思考が嫌いだったからです。

「天才の内訳は99%努力と 多分残りの1%も努力だ」

秋山黄色の『ナイトダンサー』という歌詞の一部です。「努力するのも才能」とよく言いますが、そんなことないとずっと思ってきました。何でもかんでも「才能」でまとめるなと。努力を怠る理由に才能を挙げるのが嫌だった。


今でもその気持ちは十分持ってはいます。でも「天才」の存在を認めたくなかったのは「天才」に出会っていなかったから、仮に出会っていたとしても「天才である部分」に気付けていなかったからだとも思うようになりました。その人が持つ「天才性」に完膚無きまでに叩きのめされた経験がなかったから。要は視野も知見も狭かったし、人生経験も少なかった。まあ今も別にめちゃくちゃ人生経験が豊富な訳でも、何かに特化した知識がある訳でもないんですが。でも最近は「天才って普通にいるよな」と思うようになってきたという話です。それをひしひしと感じたのが『庵野秀明展』であり、日々の読書体験や音楽体験であり、すみっコぐらしの映画でした。

 

じゃあ、天才の持つ力に完膚無きまで叩きのめされ、自分に「何も無い」ことに絶望したところで、自分はどうするのか?ここに戻ってきます。

 

3月のライオン』という私が大好きな漫画があります。私は島田開(島田八段)という登場人物が1番好きなのですが、この人は同期に宗谷冬司(宗谷名人)という将棋界のスーパースターを持ちながらも、負けじと懸命に努力を重ねる人物として描かれています。自分よりもずっと前を歩く宗谷名人に対して思いを吐露するシーンがあります。

 

「(宗谷名人との差が)『縮まらないから』といってそれがオレが進まない理由にはならん」

 

物凄く好きな言葉であり、ことあるごとに思い出す言葉でもあります。どんな天才がいようが自分よりすごい人がいようが、それが自分が頑張らない理由にはならない。自分にどんな才能があるのか、はたまた何もないのかは知らんけど、あろうがなかろうが自分のやりたいことをやりたいように真っ直ぐにやるだけだ。批判したり文句言ったりしてくる人もいるかもしれないけど、そんなものに負けている暇なんてない。

 

なんだか熱い気持ちを思い出しました。心がけているつもりだったけど、忘れていたのかも。

 

やってみたいと思っていたことをやってみよう。私はどんな形であれ「ものをつくる」ことが好きなので、いつか人の心を動かすようなものをつくる。絶対に。これは私の夢です。最初は上手くいかないことだらけだろうけど、いつか必ず。

 

 

(引用:『Universe』 作詞:藤原聡

『才悩人応援歌』 作詞:藤原基央

『ナイトダンサー』 作詞:秋山黄色)

 

(追記)

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白と黒の向こうから

いよいよ秋…を通り越して冬のような気温になってきました。

どうも、『Sounds Good!!』管理人の真珠丸です。

今回は雑談回です。

※若干重い話が多いので、読んでいて気分が優れなくなったら逃げてください。

 

10月から仕事を再開しました。今のところ大丈夫です。程々に頑張ります。昼休みに本を読むことが日々の楽しみとなっております。

最近の紙の本は高すぎるので、近現代の日本文学を読んでいます。あんまり読んでこなかった分野なので面白いです。

今のところ読んだのは夏目漱石の『こころ』と太宰治の『人間失格』という、ザ・スタンダードな文学作品。これから宮沢賢治三島由紀夫坂口安吾を読みます。あとは、これは近現代の日本文学じゃないけど、実家から持ってきた本多孝好の『MONENT』シリーズを読みます。今まで読んだ本の中で5本の指に入るくらい好きな本。

今年読んだ本の中で1番良かったのは凪良ゆう『流浪の月』でした。結構本を読んだ1年だった。新しい本はKindleで買ってしまう。本、昔こんなに高くなかったよなあと複雑な気持ちになりながらいつも買っています。ハードカバー1冊買うお金で米5kg買えない?だったら米買おうかなってなってしまうことが時折あります。趣味や好きなものに使うお金を削って生活費に充てるような生き方は良くないなと思いつつ。

 

話のネタとして書くことは不謹慎なんじゃないかと思う気持ちがあるけど、自分の中できちんと考えを昇華させておきたいとも思う、そんな話があるので、ここに記しておきます。

以前の職場、「死ぬ程人を働かせる職場だな」と思っていたのですが、本当に人が亡くなってしまったそうで。

それを上司から聞いてどうしようもない気持ちになって、「なんで?」と聞いてしまいました。私は死因が聞きたかったんじゃない。「なんで(あの人の命が奪われなくちゃいけないんだ)」っていう悲嘆と驚嘆の気持ちからつい口をついて出た言葉だったのですが、多分上司には伝わってないでしょう。まあそれはいいのですが。咄嗟のタメ口にも寛容な上司で良かったです。

「なんで(あの人の命が奪われなくちゃいけないんだ)」と思った背景には、その方がまだ若くて、他の人から期待されていて、誰にでも親切で優しい、将来性のある素晴らしい方だったということがあります。それだけに、信じられなかったし、とても悲しくて驚いた。

しばらく考えて、いや、そういう感想の持ち方って良くないなと思いました。別に、将来有望じゃなくたって、呆気なく奪われていい命なんてない。人の持つ素質で命の重さを決める権利なんて誰も持っていない。自分の考えの浅ましさに嫌気が差しました。

そうして、全く「死」というものを理解も受容もできていない自分に気付きました。ずっと理解しているつもりではいたのに、自分の眼前に降ってくると、遠くに逃げたくなるような気持ちになりました。人生の経験値が足りませんね。どうやったら人の死に向き合えるようになるのだろうか。そんなことを考えました。

故人のご冥福をお祈りします。お世話になりました。

 

人は死ぬ時に何を思うのだろうか?

太宰治玉川上水で愛人と身を投げる前に、思い止まろうとしたのではないかと言われています。

「先生」は絶望と共に生きることに限界を感じ、自死する決断を下したと言います。

まだやりたかったことがあった?会いたい人や食べたいもの、見たい景色、それとも伝えたい言葉があった?もっと生きたかったと思うのでしょうか?

 

結構頻繁に「死ぬこと」について考えます。もし今自分が死んだら、家族は、友人は、会社の人は何を思うのだろうか。自分は、どうなるのだろうか。

これは別に希死念慮があるとか、そんなことではないので安心して頂きたいですし、私は自ら命を絶つようなことは絶対にしないと決めて生きています。

余談ですが、希死念慮はなくても「死」というワードが頻繁に頭をよぎるのは、精神状態があんまり良くないことの兆候らしいので、これを読んで下さった皆様におかれましては何卒お気をつけください。

 

大学4年生の頃、地元の駅に緊急車両が大量に集まっているのを見て、足が竦んで動けなくなったことがあります。今、確かに、ここで人が命を絶った。その事実があまりにも恐怖で、もしかしたらその誰かは自分だったかもしれない、そう考えると駅に近づくことも電車を見ることも苦しかったです。

改札を抜けることはできても、ホームに降りることができなかった。何か、見えない力みたいなのに引っ張られそうになるんですよね。電車が到着するまで上にいて、停車してから階段を降りるようにしていました。学校の相談室にも行ったし、心療内科の受診も考えたけれど、しばらくしたら良くなった。

ただ、これ時々ぶり返すことがあって、そういう時は大体あんまり精神的な調子が良くない時なんですが、人の後ろに並んだり、本や音楽やラジオで気を逸らしたり、めちゃくちゃ創意工夫をこらしながら電車に乗っている、なんてことが今までの人生でちょくちょくありました。頼むから全駅にホームドアを付けて欲しい。ホームドアあると本当に安心できるので。お願いします。

とはいえ、ここ1、2年はそういうことが少し減りました。私は他人に対して敏感で、繊細すぎるのかもしれません。他人の何らかの感情や動作に引っ張られそうになる感覚はきっとそれに起因しているんだろう、となれば、「自分の身体と心は自分でコントロールする、できる」と自分に言い聞かせるようにすればいいんじゃないか。そんなことを心がけるようにしてきたら、多少改善されてきたような気がします。多分ですが、時々自分と他人の境目が曖昧になってしまうんでしょうね、そういう時にきっとおかしくなるんだろうな。境界性パーソナリティ障害というのがあるそうですが、それに近いような状態になる事があるなあと思います。

先程「私は自ら命を絶つようなことは絶対にしない」と書きましたが、きっとそんなことを決意したことも考えたこともないという人もたくさんいるでしょう。わざわざ決意するまでもない、当然のことだと思う人が多いとも思います。そんなことを敢えて宣言するなんておかしいのかもしれません。

でも、自分の精神状態が「おかしくなっている」ことなんてちょっとしたことが原因で起きますし、そうなった時に自分が「最悪の選択肢」を選ばないと言い切ることができるでしょうか?平時は「最悪の選択肢」だと思うことが、「最善の選択肢」になり得ることがないという保証はありますか?そんな時のひとつの指針として、私は「自分の生命を自分で終わらせることはしない」ということを常に心に留めて生きています。

 

これを見て「頭がおかしい」「気が狂ってる」と思う人は、どうかそのまま生きて頂きたい。だってそんなことを考えない生き方の方が楽なんだから。

「わかる」と思った方は、どうか心と身体を大切に。

 

「自分の身体と心は自分でコントロールできる」って、まあ当たり前なことではあるんですが、なかなか気付くのが難しくないですか?勿論理解はしてますよ、言われればその通りだと思うのですが、体感として会得することが本当に難しいことだった、個人的には。

私がこれに気付いた時、日頃行っていたストレッチとヨガがヒントになっていました。私は運動神経が良くないし、今まで何かのスポーツを継続的にやっていたことがない、そして身体がとても固いという、まさに絵に描いたような「運動しない人」なのです。デスクワークばかりの生活でさすがにそれはまずいと思い、家でできるヨガや体操、ストレッチを始めました。3、4年前のことです。

やってみて分かったのは、自分で思った以上に身体が動かないということでした。前にも後ろにも動かない。股関節や足首も信じられないくらい可動域が狭い。

でも、全然動かないながら毎日続けていて、「自分の身体は自分の思った通りに動かせるんだな」と思う瞬間が度々ありました。そして、しっかり呼吸をして心を落ち着かせるフローを繰り返すうちに、「自分の心を多少は自分で統制することができる」ということに気付きました。もっと運動にちゃんと取り組んでいれば、もっと早く気付いたかもしれないのですが。

26年間生きてきましたが、多分自分のコントロールの仕方が分からないまま、ここまで来てしまったのでしょうね。まさに「やっと分かってきたかも このポンコツの操縦の仕方を」という感じです。俺らまだのびしろしかないわ。

 

私はまだほとんど、周りの人の死に直面したことがありません。祖父母は4人とも健在だし、家族も親戚も至って健康。強いて言うなら曾祖母や祖父のお姉さんのお葬式に出たことはありますが、近しい親族は皆生きております。

祖父のお姉さんのお葬式に出席した時のことはよく覚えています。確か大学4年生の頃、先述したようにあまり体調がよろしくなかった時でした。私は「死」というものにあまりに敏感で、繊細すぎたのでしょうね、葬儀場に足を踏み入れた瞬間からずっと、これ以上ないくらい体調が悪かったです。息ができない。気持ち悪い。頭がぐらぐらして、自分が自分を見下ろしているような。それこそ死んでるのは自分なんじゃないかと思うような。もう途中から外出てロビーで横になっていたくらいです。帰りの車に乗せられて葬儀場を後にしたらすぐに元気になりました。

周りの親戚が全員健在ということはとても喜ばしいことであると同時に、死と向き合わなくてはなくなる機会がそれだけ待ち受けていることでもあります。私はそれを乗り越えられるだろうか。最愛の家族を喪って、立ち続けることができるのだろうか。全部覚悟しているつもりですが、全く自信はありません。どうか皆、少しでも長く元気に生きてほしい。そして自分も、少しでも長く生きたい。

 

なんだか重たい話ばかりをしてしまいました。ごめんなさいね。こんな話をしているけど、私は元気ですし、ちょうど心療内科への通院も完了したところです。

 

「間違った旅路の果てに正しさを祈りながら」

 

なかなか思い通りにならない身体も心も全部受け入れてやろうじゃないか。彩鮮やかな人生を送ろう。笑って人生を終わることができれば、それでいい。そう言い聞かせるように、今日も音楽を聴きながら家までの道を歩いています。冬は空気が澄んで星が綺麗です。

 

 

(歌詞引用:『のびしろ』 作詞:R‐指定

ロストマン』 作詞:藤原基央