ミルクコーヒー

久々の更新となりました。『Sounds Good!!』管理人の真珠丸です。

なんだかんだこのブログも6年続いているそうです。続いていると言っていいのか怪しい更新頻度ですけど。すみません。

 

このブログを開設したのが2016年の9月でした。当時大学3年生で、就活セミナー的なところに行った際、音楽関係の仕事をしている方から、「今はブログやSNSで積極的に発信していった方がいいよ」と言われて開設したのがこの『Sounds Good!!』です。

元々別のブログをやっていたのですが、もう少し他人が読むことを視野に入れたり、文章として面白いものにしたり、要はレベルアップしたコンテンツが書ければと思って作り直しました。なんという意識の高さ。今はそこまでの意識はなく、自分の経験と新旧問わない好きなコンテンツの話をダラダラとしているだけなのですが。

 

この6年間で何があったかなと思い返してみると、まあいろいろあったなと。

・就活(ヤバい会社の最終インターンでヤバい圧迫面接を受け、それがトリガーとなって心療内科に通う。中規模のIT企業に拾ってもらう。)

・大学卒業(まあまあ良い成績。)

・就職(休職と復職、会社の消滅を経て、千人規模の上場企業に吸収されるも辞めたいな〜と毎日思う。)

・結婚(コロナ禍で挙式はできず、入籍とフォトウェディングのみ実施。)

・出産(只今育休中。)

 

なんというか、人生の主要なイベント的なものがギュッと詰まっていた6年だったなと思います。

 

自分が大人になった気がします。私は結構前から「こども心を忘れない」というのを自分の生き方のテーマのひとつにしていました。

子どもは人生経験が少ないが故に固定観念とか既成の価値観がないじゃないですか。だから物事をありのまま見て、聞いて、触って、感じることができる。大人だとなかなかそうはいかなくて、「これは前に見たあれに似ているな」とか、何かしら自分の経験や知識の中に物事の共通項を探してしまう。で、それが「物事を純粋に楽しむ」ことを阻害することがある。勿論、事前知識があることで楽しみが広がることもあるんですけどね。

初めて美ら海水族館ジンベイザメとマンタを見た時のワクワク感や、初めてライブに行って生音を聴いた時の高揚感。そういう気持ちを大切にしながら、またこの先もそうやって新鮮な感動を体験できるようにと思い「こども心を忘れない」ようにしてきたのですが。

 

「こどもでありたい」と思うあまり、「大人になりたくない」という大人への反抗心を抱いていた部分もありました。中学・高校の頃なんかは特に、「大人は自分を守るために嘘をついたり見栄を張ったりして、子どもの言うことなんて聞いてくれない。だから大人になんかなりたくない。」みたいな気持ちになることも多々。

いざ自分が「大人」と呼ばれる年齢になってみて、「子どもの頃と何も変わらないな」と思いました。なんというかこう、明確に大人としての基準とか大人と子どもの境目とか、そういうものって全くなかったんだなと。私はお酒も飲めないしタバコも吸わない、ついでに車の免許もないので、そういったわかりやすい「大人だからできること」ができれば、もしかしたら大人であることを実感できたのかもしれないですが。なんだろうな、私ができる「大人っぽいこと」…。ブラックコーヒーが飲めるとかそのくらいしか思いつかない…。

大人である自分の中に、子どもとしての自分を留めたまま成長できるものなんだなとなんとなく嬉しくなりました。歳を重ねるのも悪くないな。勿論、大人としての考え方や立ち居振る舞いは社会に揉まれて否が応でも身につきましたが、そこに「こども心」を忘れずに生きていけるかは自分次第なんじゃないかなと思っています。いつまでも楽しい人間であれ、自分。

 

大人になって、学生時代とか、意外と尖りまくってたな、今はだいぶ丸くなったななんて思います。「大人の対応」ができるようになったというか。

私はTwitterをやっているのですが、数年前から今に至るまで時々同年代の知り合いから個人攻撃されるんですよね。エアリプで陰口&悪口。個人名伏せて。「いやこの歳にもなって?!そんなことされる?!」と思われるでしょうし私も思うのですが、されるんですよ。何が楽しくてやってるのかよく分からないけど。

「○○に遊びに行った!」とツイートすれば「彼氏できた瞬間変わりすぎて無理(意訳)」、「結婚しました!」とツイートすれば「中途半端なブスのくせに最初に結婚かよ(意訳)」、果てはこちらが何もしていなくても過去のあることないことを掘り起こして「(私の結婚だけは)祝う気が起きないしどうでもいいと思った。彼氏できた瞬間人が変わったので(意訳)」。

こんなことされる心当たりが全くないかと言われると、あれかな…と思う部分はあるのですが、別に他の人は同じように親交があるままなので、きっと根本は合わなかったけれど何となく今までは上手くいっていたのが、何かの拍子にズレたんだろうなくらいに思っています。

学生時代にこんな書かれ方をしていたら間違いなくエアリプで叩き返して泥沼化していたと思います。シンプルに腹が立つので。しかも大抵憶測での誹謗中傷なので、事実と異なることがまあまあ書かれている。

最近はというと、腹が立つのは変わらないのですが、そこから一歩引いて客観視できるようになりました。陰口とか悪口って、言う側の欲求の裏返しなので、「ああ、この子は本当は彼氏と遊びに行きたいけど行けないから攻撃してくるのね」とか、「結婚したいけどできないし他人の幸せが許せないから、言われたら傷つくような言葉を選んで水を差すように仕向けてきたんだな」とか、「本当にどうでもいいと思ってたら、気にもとめないしわざわざ書かないよね、内心は気になって気になって仕方ないんだろうな」とか、そうやって人間分析をすることで多少は怒りも収まるような気がします。気がするだけでまあ普通に腹立ちますけどね。

一時はこんな風に悪口を言われようとも「嫌われるのは怖い」と思って悶々としたり、「こうは言ってるけど話せばわかるはず」と思って直接連絡したりしていましたが、無視したり関係を絶ったりすることで自分を守ることも大事だと考えるようになりました。万人に好かれるなんてどだい無理な話ですし、自分を悪く言ってくる人よりも自分と波長の合う人や自分の好きな人との時間を大切にした方がいいに決まっている。人間関係において楽に生きる術を身につけつつあります。

 

学生時代思い描いていたライフプランと今の生き方が大きく乖離しているように思います。といっても、別に学生時代だって「○○歳までに結婚して、○○歳までに子どもを産んで…」みたいにしっかりしたプランなんて立てたことないですが、「結婚?別にしなくてもいいかな。友達と家族がいて楽しく過ごせればいいや。子どもも別に欲しいとは思わないな、自分の時間なくなって大変そうだし。でももしするとしたら、30歳くらいかな、親がそのくらいでしてたから。」とぼんやり考えていました。実際は(自分の中では)だいぶ前倒しに結婚も出産も経験することになりました。でも別にそれで「人生設計が狂った!」とかは全く思いません。

学生時代と現在の自分を比べて変わったなと思うところがあと2つあります。1つ目は親の影響力の大きさ。自分にとって最も身近な存在である親が、どうしても自分の人生のロールモデルになってしまうのはしかたないとして、それにしても自分の頭で考えて選択してこなかったなと反省しています。さっきのもそうですよね、親がこのくらいの歳で結婚したから自分も、みたいな。

うちの親は元々子どもの意見や希望を尊重する親なので、ああしろこうしろ言われた記憶はないし、習い事とか志望校とかそういうことも全部やりたいようにやらせてくれていました。そんなに物凄く叱られたり衝突したりした記憶もないです。幼い頃にムシャクシャして弟を蹴り飛ばしたとか、社会人にもなって不注意で牛乳パックひっくり返してキッチンマットをダメにしたとか、200%私に非がある時に怒られた覚えしかありません。とても素晴らしい親だと思うし信頼しています。その信頼度が高すぎるからこそ、些細なことでも相談してそのまま鵜呑みにすることが多かった。

実家を出た頃から、だいぶ自分で考えて生きていけるようになりました。ほんとに小さな積み重ねなんですけど、例えば唐揚げの作り方。親は1度しっかり揚げればOKと言っていたけれど、作ってみたら2度揚げした方が美味しい、とか。米は無洗米でも十分美味しい、とか。ハンバーグは少し蒸し焼きにした方が自分の好みだな、とか。食べ物の話ばかりですね、すみません。でもそうやって「親がやっていたのとは違う方法」を見つけることで、少しずつ自立できていったのかもしれないですね。

 

2つ目は自分の優先順位。学生時代は「世界の中心はこの自分!」って感じで生きていました。人生の主人公はこの私。

結婚して出産して育児するなんて「普通の人生」、つまらないな、もっと面白い生き方がいいな。そう思っていました。だって夫や子どもに自分の時間を割くのはもったいないし。自分の人生なんだから自分のやりたいことをやりたい。

その考え方は今でも大きくは変わっていなくて、ただ「自分のやりたいこと」が「自分ひとりでやりたいこと」から「自分の仲間とやりたいこと」に変わっていったのだと思います。そうなると当然チームプレイなので、自分と同じかそれ以上に仲間のことが大切になる。私の場合はその仲間が家族だった。なので、今は自分以上に家族のことが大切に思えるようになりました。自分を犠牲にしてもこの人たちのことを守りたいとすら思えます。

あと、これは経験して分かってきたことなのですが、結婚して出産して育児するのは全然「普通の人生」じゃないしつまらなくもないです。簡単に得られる人生でもなんでもないです。親をはじめ、周りにいる人がそういう人生を辿ってきたからそう見えるだけで、皆「普通」の顔をして大変な苦労と努力を積み重ねた上に成り立っていたのだと痛感しています。若い頃の自分の考えがいかに浅薄だったか。

自分はなんで結婚や出産をしようと思ったのだろう?よく考えたら、よく考えないままここまで来た気もします。結婚については、「プロポーズされたから承諾した」っていうのが直接の理由ではあるんですが、じゃあなんで承諾したんだろう?

「笑ったり泣いたり あたり前の生活も 二人で過ごせば 羽も生える 最高だね!」

スピッツの『夢追い虫』の歌い出しの歌詞ですが、まさにこんな感じです。「羽も生える」という部分については、地を歩くことしかできなかった人間が羽を手に入れて空を飛べるようになる、つまり「行けなかったところに行けるようになる」みたいな解釈です、個人的には。

別にひとりで過ごしたって楽しいし全然大丈夫だけど、この人とだったら今まで知らなかった感情を知ったり、考えもしなかった生き方を送ったりすることができると思ったから。それは、多分他の人だったら代替できないと思ったから。

「踵が4つ 煉瓦の道 明日と昨日の隙間で歌った

全てはかけがえのないもの 言葉でしか知らなかった事」

(宇宙飛行士への手紙 / BUMP OF CHICKEN)

 

出産については、これも「妊娠したから出産した」とそれに尽きるのですが、じゃあなぜ産む選択をしたのか。結婚して2年間は2人の生活を送ろうと決めていたんだけど、私が妊娠しにくい体質かもしれないということが判明した直後での妊娠だった。もう最初で最後の可能性が高いと思い、産もうと決めた。検査薬で陽性が出た時は、どうしよう…大人にもなって牛乳全部零してキッチンマット丸ごとゴミ箱行きにするような、人類の末端みたいな人間に親など務まるのだろうか…という不安の方が大きかったけど、エコー撮ってもらって自分の目でまあるいたまごみたいな赤ちゃんと動いている心臓を見た時に、何があっても絶対に産もうという強い決意に変わった。そんな感じです。妊娠期間はいろいろ辛かったけれど、頑張って耐えて産んで良かったし産まれてきてくれてありがとうと毎日思っている。どんなに泣いても可愛くて仕方ないし、自分なんかよりも遥かに大切な存在となっています。

「柔らかな心を持った 初めて君と出会った 少しだけで変わると思っていた 夢のような」

(フェイクファー / スピッツ)

我が子に初めて出会った時の気持ちそのものです。結婚しようが親になろうが絶対に自分は変わらないと思っていたのに。あれだけ自分中心の生き方をしていたのに。君に出会ったあの時から様変わりしてしまった。まあまだ親と言うには未熟極まりない存在ですが、私の母曰く、「親っていうのは子どもからいろんなことを学んで親になる」そうなので、子どもからたくさん学ばせてもらおうと思っています。

 

ああ、気付いたらだいぶ歳を重ねていたんだなあ。まったく成長も進歩もしていないような気がしていたけれど、意外といろんな経験をして、その時々で考えて感じて、ここまでやってきたんだなあ。まだ気持ち的には20歳くらいで周りに甘えて生きている気分だったけど、ちゃんとやれてるような気になってきました。まさか27歳の自分がこんな風になっているなんて、多分10年前、いや5年前には考えられなかったでしょうね。思ったよりちゃんと自分のなりたかった大人に近づけているような気もするし、想像しなかったような人生を送っているような気もします。いずれにせよ、結構楽しく日々を送れています。

 

「また何度も妬むだろう もう一つのlife送れたはずだって

だがいつかこうも歌うだろう ジャズコにプラグぶっ差して

『我が人生に悔いはない』ってさ」

(Spy / [Alexandros])

 

「あの時違う選択をしていたら…」「もしこうしていれば…」そう思う日が来るだろうし、覚えていないだけで今までにもたくさんあったかもしれない。でも、時間が戻るわけでもあるまいし、自分が選んできた道が、そしてこれから進む人生が、最善最高のものだって思うしかないし、そう思えるように生きていきたい所存です。

 

空腹で泣き喚き暴れた我が子が鼻の頭にミルクの水滴をつけています。その間の抜けた、でも可愛らしい姿を見て、これから出逢う幸福をできる限り取り零さないようにしよう。そう思いました。

 

 

 

(追記というか余談というか)

私がダメにした実家のキッチンマットは、布製じゃなくて…なんていうんだろう、厚みがあってちょっとふかふかしてる、水拭きとかできるマットレス…伝わります…??あれです。貰い物らしいけど割と高そうなやつでした。

今住んでる家のキッチンマットは布製のものにしていたのですが、信じ難いくらい毛羽立ってきたので新しいのを先日買いました。私がダメにしたやつと同じような素材でした。「今回こそは絶対にダメにしないぞ!」と心に決めて某緑と白の大手家具チェーン店のネット通販で購入、届いた日はぎっくり腰で実家にて静養中だったため、帰宅しルンルン気分でマットを取り替えました。白地に青の模様でとても私好みの色合い!料理をする度に気分が上がるし良いぞ!!

その日の夕方、お釜に入れようとした米を零しました。ぎっくり腰やってる身体で地を這いながら白地のマットレスの上に散らばった米をひと粒ひと粒回収しました。何やってるんだろう、ほんとに。