白と黒の向こうから

いよいよ秋…を通り越して冬のような気温になってきました。

どうも、『Sounds Good!!』管理人の真珠丸です。

今回は雑談回です。

※若干重い話が多いので、読んでいて気分が優れなくなったら逃げてください。

 

10月から仕事を再開しました。今のところ大丈夫です。程々に頑張ります。昼休みに本を読むことが日々の楽しみとなっております。

最近の紙の本は高すぎるので、近現代の日本文学を読んでいます。あんまり読んでこなかった分野なので面白いです。

今のところ読んだのは夏目漱石の『こころ』と太宰治の『人間失格』という、ザ・スタンダードな文学作品。これから宮沢賢治三島由紀夫坂口安吾を読みます。あとは、これは近現代の日本文学じゃないけど、実家から持ってきた本多孝好の『MONENT』シリーズを読みます。今まで読んだ本の中で5本の指に入るくらい好きな本。

今年読んだ本の中で1番良かったのは凪良ゆう『流浪の月』でした。結構本を読んだ1年だった。新しい本はKindleで買ってしまう。本、昔こんなに高くなかったよなあと複雑な気持ちになりながらいつも買っています。ハードカバー1冊買うお金で米5kg買えない?だったら米買おうかなってなってしまうことが時折あります。趣味や好きなものに使うお金を削って生活費に充てるような生き方は良くないなと思いつつ。

 

話のネタとして書くことは不謹慎なんじゃないかと思う気持ちがあるけど、自分の中できちんと考えを昇華させておきたいとも思う、そんな話があるので、ここに記しておきます。

以前の職場、「死ぬ程人を働かせる職場だな」と思っていたのですが、本当に人が亡くなってしまったそうで。

それを上司から聞いてどうしようもない気持ちになって、「なんで?」と聞いてしまいました。私は死因が聞きたかったんじゃない。「なんで(あの人の命が奪われなくちゃいけないんだ)」っていう悲嘆と驚嘆の気持ちからつい口をついて出た言葉だったのですが、多分上司には伝わってないでしょう。まあそれはいいのですが。咄嗟のタメ口にも寛容な上司で良かったです。

「なんで(あの人の命が奪われなくちゃいけないんだ)」と思った背景には、その方がまだ若くて、他の人から期待されていて、誰にでも親切で優しい、将来性のある素晴らしい方だったということがあります。それだけに、信じられなかったし、とても悲しくて驚いた。

しばらく考えて、いや、そういう感想の持ち方って良くないなと思いました。別に、将来有望じゃなくたって、呆気なく奪われていい命なんてない。人の持つ素質で命の重さを決める権利なんて誰も持っていない。自分の考えの浅ましさに嫌気が差しました。

そうして、全く「死」というものを理解も受容もできていない自分に気付きました。ずっと理解しているつもりではいたのに、自分の眼前に降ってくると、遠くに逃げたくなるような気持ちになりました。人生の経験値が足りませんね。どうやったら人の死に向き合えるようになるのだろうか。そんなことを考えました。

故人のご冥福をお祈りします。お世話になりました。

 

人は死ぬ時に何を思うのだろうか?

太宰治玉川上水で愛人と身を投げる前に、思い止まろうとしたのではないかと言われています。

「先生」は絶望と共に生きることに限界を感じ、自死する決断を下したと言います。

まだやりたかったことがあった?会いたい人や食べたいもの、見たい景色、それとも伝えたい言葉があった?もっと生きたかったと思うのでしょうか?

 

結構頻繁に「死ぬこと」について考えます。もし今自分が死んだら、家族は、友人は、会社の人は何を思うのだろうか。自分は、どうなるのだろうか。

これは別に希死念慮があるとか、そんなことではないので安心して頂きたいですし、私は自ら命を絶つようなことは絶対にしないと決めて生きています。

余談ですが、希死念慮はなくても「死」というワードが頻繁に頭をよぎるのは、精神状態があんまり良くないことの兆候らしいので、これを読んで下さった皆様におかれましては何卒お気をつけください。

 

大学4年生の頃、地元の駅に緊急車両が大量に集まっているのを見て、足が竦んで動けなくなったことがあります。今、確かに、ここで人が命を絶った。その事実があまりにも恐怖で、もしかしたらその誰かは自分だったかもしれない、そう考えると駅に近づくことも電車を見ることも苦しかったです。

改札を抜けることはできても、ホームに降りることができなかった。何か、見えない力みたいなのに引っ張られそうになるんですよね。電車が到着するまで上にいて、停車してから階段を降りるようにしていました。学校の相談室にも行ったし、心療内科の受診も考えたけれど、しばらくしたら良くなった。

ただ、これ時々ぶり返すことがあって、そういう時は大体あんまり精神的な調子が良くない時なんですが、人の後ろに並んだり、本や音楽やラジオで気を逸らしたり、めちゃくちゃ創意工夫をこらしながら電車に乗っている、なんてことが今までの人生でちょくちょくありました。頼むから全駅にホームドアを付けて欲しい。ホームドアあると本当に安心できるので。お願いします。

とはいえ、ここ1、2年はそういうことが少し減りました。私は他人に対して敏感で、繊細すぎるのかもしれません。他人の何らかの感情や動作に引っ張られそうになる感覚はきっとそれに起因しているんだろう、となれば、「自分の身体と心は自分でコントロールする、できる」と自分に言い聞かせるようにすればいいんじゃないか。そんなことを心がけるようにしてきたら、多少改善されてきたような気がします。多分ですが、時々自分と他人の境目が曖昧になってしまうんでしょうね、そういう時にきっとおかしくなるんだろうな。境界性パーソナリティ障害というのがあるそうですが、それに近いような状態になる事があるなあと思います。

先程「私は自ら命を絶つようなことは絶対にしない」と書きましたが、きっとそんなことを決意したことも考えたこともないという人もたくさんいるでしょう。わざわざ決意するまでもない、当然のことだと思う人が多いとも思います。そんなことを敢えて宣言するなんておかしいのかもしれません。

でも、自分の精神状態が「おかしくなっている」ことなんてちょっとしたことが原因で起きますし、そうなった時に自分が「最悪の選択肢」を選ばないと言い切ることができるでしょうか?平時は「最悪の選択肢」だと思うことが、「最善の選択肢」になり得ることがないという保証はありますか?そんな時のひとつの指針として、私は「自分の生命を自分で終わらせることはしない」ということを常に心に留めて生きています。

 

これを見て「頭がおかしい」「気が狂ってる」と思う人は、どうかそのまま生きて頂きたい。だってそんなことを考えない生き方の方が楽なんだから。

「わかる」と思った方は、どうか心と身体を大切に。

 

「自分の身体と心は自分でコントロールできる」って、まあ当たり前なことではあるんですが、なかなか気付くのが難しくないですか?勿論理解はしてますよ、言われればその通りだと思うのですが、体感として会得することが本当に難しいことだった、個人的には。

私がこれに気付いた時、日頃行っていたストレッチとヨガがヒントになっていました。私は運動神経が良くないし、今まで何かのスポーツを継続的にやっていたことがない、そして身体がとても固いという、まさに絵に描いたような「運動しない人」なのです。デスクワークばかりの生活でさすがにそれはまずいと思い、家でできるヨガや体操、ストレッチを始めました。3、4年前のことです。

やってみて分かったのは、自分で思った以上に身体が動かないということでした。前にも後ろにも動かない。股関節や足首も信じられないくらい可動域が狭い。

でも、全然動かないながら毎日続けていて、「自分の身体は自分の思った通りに動かせるんだな」と思う瞬間が度々ありました。そして、しっかり呼吸をして心を落ち着かせるフローを繰り返すうちに、「自分の心を多少は自分で統制することができる」ということに気付きました。もっと運動にちゃんと取り組んでいれば、もっと早く気付いたかもしれないのですが。

26年間生きてきましたが、多分自分のコントロールの仕方が分からないまま、ここまで来てしまったのでしょうね。まさに「やっと分かってきたかも このポンコツの操縦の仕方を」という感じです。俺らまだのびしろしかないわ。

 

私はまだほとんど、周りの人の死に直面したことがありません。祖父母は4人とも健在だし、家族も親戚も至って健康。強いて言うなら曾祖母や祖父のお姉さんのお葬式に出たことはありますが、近しい親族は皆生きております。

祖父のお姉さんのお葬式に出席した時のことはよく覚えています。確か大学4年生の頃、先述したようにあまり体調がよろしくなかった時でした。私は「死」というものにあまりに敏感で、繊細すぎたのでしょうね、葬儀場に足を踏み入れた瞬間からずっと、これ以上ないくらい体調が悪かったです。息ができない。気持ち悪い。頭がぐらぐらして、自分が自分を見下ろしているような。それこそ死んでるのは自分なんじゃないかと思うような。もう途中から外出てロビーで横になっていたくらいです。帰りの車に乗せられて葬儀場を後にしたらすぐに元気になりました。

周りの親戚が全員健在ということはとても喜ばしいことであると同時に、死と向き合わなくてはなくなる機会がそれだけ待ち受けていることでもあります。私はそれを乗り越えられるだろうか。最愛の家族を喪って、立ち続けることができるのだろうか。全部覚悟しているつもりですが、全く自信はありません。どうか皆、少しでも長く元気に生きてほしい。そして自分も、少しでも長く生きたい。

 

なんだか重たい話ばかりをしてしまいました。ごめんなさいね。こんな話をしているけど、私は元気ですし、ちょうど心療内科への通院も完了したところです。

 

「間違った旅路の果てに正しさを祈りながら」

 

なかなか思い通りにならない身体も心も全部受け入れてやろうじゃないか。彩鮮やかな人生を送ろう。笑って人生を終わることができれば、それでいい。そう言い聞かせるように、今日も音楽を聴きながら家までの道を歩いています。冬は空気が澄んで星が綺麗です。

 

 

(歌詞引用:『のびしろ』 作詞:R‐指定

ロストマン』 作詞:藤原基央

 

 

 

空っぽの腕で何を抱き寄せるのか? 〜Official髭男dismの『アポトーシス』を語る〜

 

ヤバい曲に出会ってしまった、その衝撃のままここに諸々綴ろうと思います。

どうも、『Sounds Good!!』管理人、真珠丸です。

 

今回はOfficial髭男dismの『アポトーシス』という楽曲について、個人的な歌詞の解釈などを書いてみることにします。

音楽、歌詞について、あれこれ分析して解説するのは野暮なことだとは思いつつも、この曲に出会った衝撃があまりにも凄かったので、思いを昇華する意味でもここであれこれ語ろうかなと思い至りました。

とりあえず、iTunesYouTubeのリンクを貼っておくので、「まだ聴いたことないぜ」「もう1回聴いておこうかな」という方はぜひ聴いてみてくださいませ!

 

アポトーシス

アポトーシス

  • provided courtesy of iTunes


www.youtube.com

 

今回は歌詞の解釈の話なので、歌詞を見ながら「ふーん」と思いつつ目を通して頂ければ幸いでございます。全部個人的な解釈なので、「そんなこと思った人もいるんだな」程度で見てくだされば・・・。サウンド的な話で語りたい点も山ほどあるのですが、「誰が読むんかい」というボリュームになりそうなので、一旦歌詞の話だけします。

そして、あまりにも深掘り要素が多いので、ある程度掻い摘んで、特に印象的だった部分や「すごい!ヤバい!」と個人的に響いた部分について話そうと思います。

 

 

 

前提

この曲が何を主題として歌っているか、っていうところについて。

夜から朝に向かう一晩の変化を通して、人生が終わりに向かっている様を表しているように読み取りました。簡単に言えば、テーマは「死」です。

単純に、夜が明けて朝になったってだけの曲じゃないよね、というところの認識を共有しておきたく思います。

ただ「死」という言葉は1回も使われていないのが見事です。具体的な言葉で抽象的な概念を表す、そういう歌詞が大好きな人間としては、この上なく最高の言葉の並びです。

 

訪れるべき時が来た もしその時は悲しまないでダーリン

という歌詞や、所々に出てくる「さよなら」「別れの時」という言葉、そして

恐るるに足る将来に

普通この言葉を使う時は「恐るるに足りない」の形ではないかと引っかかったのですが、それほどの畏怖の対象として将来的に存在するものといえば、そりゃもう「死」以外ないなというところで、私はこの曲のテーマの1つとして「死」が存在していると判断した次第です。あと『アポトーシス』という曲名からしてもそうですよね、死の話ですよね。でも死の話をするということは、逆説的に生きることを歌っているということでもあります。

 

 

Bメロの言葉の選び方、運び方の美しさ

1番、2番のBメロについて考察します。

まずは1番のBメロから。

 

さよならはいつしか 確実に近づく

落ち葉も空と向き合う蝉も 私達と同じ世界を同じ様に生きたの

 

死んだ蝉について「空と向き合う」という表現をしているのは初めて見ましたが、すごく美しい表現だと思いました。私が最初にこの曲を聴いた時、1番印象的だった歌詞もここです。

この後にサビが続きますが、サビの初めに「お祭り」という歌詞が出てきます。落ち葉やひと夏の命を全うした蝉、つまりは「死んだ生き物」を謳った後に、人の生命力の結晶のような「お祭り」という歌詞に繋がっていく、そのあまりにも激しいギャップに、ただただ凄いと、そんな感想しか抱けなかった。

あとは個人的なイメージですが、「蝉」と「空(そら)」は相性がとてもいい言葉で、歌詞を文字に起こした時にさらに想像力がかき立てられる歌詞だなと思いました。「空蝉」という言葉がありますが、そういうのも込めているんだろうなと。サビの「空っぽ」とも繋がりますね。

ここではまだ「死」を理解も受容もし切れていない様子が描かれている、というのが私の解釈です。多分、1番のBメロ、サビは若い頃や青春時代のことを表しているんだと思いますが、自分の人生において「死」はまだ遠い先のことで、それについて考えたり悩んだりすることもあんまりないし、何なら考えたくもないこととしてとらえられてるんじゃないかなと。

 

そして2番のBメロ。

 

さよならはいつしか 確実に近づく

校舎も駅も古びれていく 私達も同じだってちゃんと分かっちゃいるよ

 

1番のが若い頃や青春時代の話であるなら、2番は大人になってからのことを表しているのだと思います。「死は必ず遠からぬ将来やってくるものだ」と理解はしているけれど、受容はできていない、そんな繊細な戸惑う様子が描かれているのが2番と言えそうです。

「私達も(いつか年老いて死ぬことが、校舎や駅と)同じだってちゃんと分かっちゃいるよ」という歌詞ですが、この「分かっちゃいる」が要で、「分かってはいる」「けれど受け入れられてはいない」んですね。だから、「校舎」や「駅」という、生き物ではないものと同じだと言っている。1番の生き物と2番の建物の描写は対になっています。厳密に言えば、私達の命や死は「建物」と同じではないのです。同じなのは「落ち葉や空と向き合う蝉」の方なのです。なのにここで建物を引き合いに出しているのは、「落ち葉や空と向き合う蝉」と同じだと認めたくないからではないでしょうか。

「同じ」という歌詞が両方に共通しているのも面白くて、前者は「同じ?」というニュアンスなのに対し、後者は「同じ(だけれども受け入れられない)」という微妙な心の変化が表れているんですよね。

ちなみに、なぜ「校舎」と「駅」なのかというところについては、「校舎=学生時代=青春時代・若い頃」と「駅=通勤=社会人=大人」みたいなところを表現してるんじゃないかなと。憶測ですが。

 

あと、Bメロではもうひとつ注目すべき点があります。共通している歌詞です。

 

さよならはいつしか 確実に近づく

 

1番は若い頃、2番は大人という話をしましたが、両方に共通している歌詞がこの部分です。1番2番の全体を通して見ても、全く同じフレーズが使われている箇所はここしかない。

多分、「死の不変性」を表しているんじゃないかと思います。若かろうが歳をとろうが、いつか必ず死ぬという事実は変わらないという、いわばこの曲の主題みたいなのが込められてるんだろうなと感じました。

 

言葉ひとつひとつが美しく、また意味を持ち、後の歌詞に繋がっていくんですよね。とんでもない言葉の選び方のセンスだなあと、聴く度に氷水を浴びたかのような衝撃を受けております。

 

 

サビを考察する

先程の章で繰り返し「1番は若い頃、2番は大人」という考察をしていますが、これはサビを見ても汲み取れることかと思います。

例えば1番のサビの最後の方、

 

鼓動を強めて未来へとひた走る

 

「未来」がある時点で若者ということはまず断定しても良さそうです。「ひた走る」という言葉もエネルギッシュ。

 

なるべく遠くへ行こうと 私達は焦る

 

「死から遠ざかりたい」という願望の表れともとれる歌詞です。ちなみにこの歌詞は後ほど詳しく解説する箇所があるのでここでは流します。

 

別れの時など 目の端にも映らないように そう言い聞かせるように

 

「死から目を背ける」様子が伺えます。先程も書いた「1番(若い頃)は死に対して『理解も受容もできていない』」というのはこのあたりが根拠でもあります。

 

続いて2番のサビに移ります。

私は2番のサビの歌詞が1番好きです。

2番は大人になってからの話ということで、それはこの辺りから読み取れるでしょうか。

 

今宵も明かりのないリビングで 思い出と不意に出くわし やるせなさを背負い

 

やるせない気持ちになるような思い出に出くわすくらい、人生の経験値を積んだというところから、社会人以降の人生や大人になってからのことを歌っているのだと判断できます。

そして、「死を理解しているが、受け入れられてはいない」というのは

 

解説もないまま 次のページをめくる世界に 戸惑いながら

 

「解説」、どう生きればいいのか、どうやって死と向き合うべきなのか、いつ終わるのか。それがわからない人生という「問題集」は次から次へとページがめくられていく、進んでいく。それに対する困惑する気持ちが描かれた、この辺りから推測できます。2番のサビは、全体的に少し薄暗い雰囲気で、拭いようのないやり場のない気持ちで覆われているようです。これがまた最高なんだな…。

2番のサビは言葉が掛かりまくっててすごく良いので、もう少し掘り下げて見てみましょう。

 

今宵も明かりのないリビングで 思い出と不意に出くわし やるせなさを背負い

水を飲み干しシンクに グラスが横たわる

空っぽ同士の胸の中 眠れぬ同士の部屋で今

水滴の付いた命が今日を終える

解説もないまま 次のページをめくる世界に 戸惑いながら

 

「鐘」や「お祭り」といった歌詞が散りばめられた、神聖なイメージのある1番、ラスサビとは対照的な作りになっていて、人間の生活らしい描写が目立ちます。まさに、聖と俗の対比です。見事すぎる。あまりにも情景的で、絵がありありと浮かぶところがすごい。重苦しい描写なのに美しささえ感じます。

 

水を飲み干しシンクに グラスが横たわる

空っぽ同士の胸の中 眠れぬ同士の部屋で今

水滴のついた命が今日を終える

 

ここは後にも繋がってくる歌詞です。特徴的なのは「水」の描写。生命の維持に不可欠な水は「生」の象徴ととらえられます。

「(水を飲み干して空になった)グラスが横たわる」は「生命がなくなって死を迎えた様子」を婉曲的に表しているように見えます。「グラス」という言葉の選び方も実はすごくて、「壊れ物」というグラスの特徴が「命」にも共通しているんですよね。いつか割れて壊れる。物であるグラスに対して「横たわる」という、いわば擬人法のような表現をされているところが引っかかってあれこれ考えた結果、そういうことなのか!と納得しました。そして、「グラス」は1番Bメロの「蝉」と同様に、今度は「空(から)」と相性がよくて、繋がっているんですよね。いやー、すごいな。同じ漢字に収束するという。

しかもここから「水滴の付いた命」という歌詞にも繋がるんです。この曲の中で最も生命力の溢れた言葉だと感じました。繊細に全てが繋がっていく、鮮やかで美しい言葉のリレー。涙が出そうになります。

「空っぽ同士の胸の中」は1番のサビと同じ歌詞で、人生が地続きであることを表しているように思います。

次のポイントである「眠れぬ同士の部屋で今」ですが、これは最後の歌詞を解説するところに残しておきましょうか。「眠り」とはなんなのか、そのあたりの考察で触れようと思います。

 

全てを包括する最重要ポイント、ラスサビ

ラスサビが本当に見事で、素晴らしくて美しくて、久々にこんなに心震える歌詞に出会ったなあ、生きてて良かったと(奇しくも死を謳った曲なのに)思ってしまいました。

 

今宵も鐘が鳴る方角は お祭りの後みたいに鎮まり返ってる

焦りを薄め合うように 私達は祈る

似た者同士の街の中 空っぽ同士の腕で今

躊躇いひとつもなく あなたを抱き寄せる

別れの時まで ひと時だって愛しそびれないように そう言い聞かすように

 

私が「これはすごい!!!」と思った歌詞は2箇所あり、6分半程ある曲の中で最も核心に迫る箇所だと思いますので、そこを中心に語らせて頂きます。

 

まずは

焦りを薄め合うように 私達は祈る

ここは、1番2番の歌詞を見事に踏襲した歌詞になっているのがお分かり頂けるでしょうか。

 

1番のサビの同じ箇所の歌詞は

 

なるべく遠くへ行こうと 私達は焦る

 

「死」から遠ざかろうとする若い頃の心情を表しています。「死から逃れたいという恐怖心からくる焦り」、自分がいつか死ぬことがわからない、受け入れられないという気持ちです。この部分の「焦」りという言葉がラスサビでも使われています。

 

そして、2番の歌詞を見てみましょう。

 

水を飲み干しシンクに グラスが横たわる

 

水を飲むというこの描写、一見無関係そうに見えますが、そうです、「薄め合う」に掛かっています。2番では、「死ぬことは理解した、でも受け入れられない」という心情が中心に歌われています。

 

1番、2番での心情の流れ、変化。それが凝縮されたのが、ラスサビの、このたったの12文字なのです。言葉が言葉を呼び、クライマックスにまでその効力を発揮している。巧みすぎる。すごすぎる。美しすぎる。歌詞を見てこれ程衝撃を受け、作詞した方の技巧にひれ伏す気持ちになったのは、初めてかもしれません。そのくらいすごい。いや、もう、見事としか言いようがない。

 

すみません、まだこの歌詞には続きがありますね。

「(死への恐怖からくる)焦り」を「薄め合う」ようには「祈る」しかないのです。「祈る」という行為自体には実質的な効力はないです。逃げるわけでも絶望するでもなく、「死を避けられないものだと受け入れる」。そう、ラスサビでのポイントはここで、今まで受け入れられなかった死を「受け入れる」というところです。6分半の曲の中で、人生における「死」に対する感じ方の変化を、最後の最後まで見事に表しています。それが読み取れる歌詞の1つ目が上記で説明した部分の歌詞です。

 

1つ目ということは2つ目もあるの?と思った貴方、大正解です。まあその後の歌詞は全部そういう歌詞ではあるのですが、私が「ここは考察したい」と思った歌詞がこちらです。

 

躊躇いひとつもなく あなたを抱き寄せる

 

普通にすごくいい歌詞なのですが、個人的にとても引っかかるポイントがありました。

「あなた」という歌詞、この曲ではここにしか出てこないんです。そこで抱いた疑問は

「あなたって誰?」

です。個人的には2通りに解釈しました。(これは多分両方を含有してるんじゃないかなと思ってますがどうなんでしょうか、深読みしすぎですか?)

 

1つ目は「愛する人」のこと。多分、これは1番スタンダードな解釈かと思います。その後の歌詞が「別れの時までひと時だって愛しそびれないように」なので、とても順当で真っ当な解釈です。「空っぽ同士の腕」というところとも整合性が取れます。

 

ですが、これだと何点か疑問が残るなと思ったのです。まず、「愛する人」のことはAメロで「ダーリン」と表記している点です。ただこれについては、強調の意味を込めて、ここで改めて「あなた」という表記をするのもありな気がするので、何とも言えないなというのが率直な気持ちなのですが。

そして、2点目が「抱き寄せる」という歌詞。「人同士だったら『抱きしめる』にならないか?」という疑問です。「抱き寄せる」という言葉は、あくまでもニュアンスレベルの話ですが、「自分から少し離れた人やものを、自分の近くに引き寄せるようにして抱きしめる」という意味合いがあるかと思います。愛する人が自分から離れたところにいるとは思えないし、もし自分だったらストレートに「抱きしめる」という表現をするなと。じゃあ、「抱き寄せる」という歌詞にしたのには何らかの意味があるのではと考察した次第です。

自分から離れたところにあったもの。今までは戸惑っていたのに、躊躇いひとつもなく抱きしめられるようになったもの。「死」です。「あなた」は「愛する人」と「死」の両方を掛けている。

「死」を「抱き寄せる」、つまり死を受容した瞬間を歌ったのがこの歌詞である。これが私の解釈です。

そう解釈すると、愛する対象は、「愛する人」に限定していないのではないか、もっと広義な意味でとらえられるのではないか。つまり、死を迎えるその時まで「あなたを」「自分を」「世界を」ひと時も愛しそびれないようにという意味を込めた歌詞がこの部分だと考えました。

「そう言い聞かすように」というところに死への恐怖が垣間見えますが、それでも最後の瞬間まで愛し続けようという決意が見て取れます。やはりここでちゃんと「愛」に繋がるのか…。

 

憶測ですが、ってまあこの記事は全部憶測ではあるんですが、ひとつの歌詞が両方の意味に取れるようにきちんと計算して作られているんじゃないかと思います。いやー……もう…あまりにもですよね、すごすぎて。すごいと言葉にすることすらおこがましいと思ってしまう。

 

 

「眠り」と「死」と「朝」

ラスサビ後の、1番最後の歌詞を見てみましょう。

 

訪れるべき時が来た

もしその時は悲しまないで ダーリン

もう朝になるね

やっと少し眠れそうだよ

 

最初の2行は1番初めと同じですが、ここまでの歌詞を追って見てみると、少し違った印象を受けますね。

ここで考えたいのは、「眠れそうだよ」という歌詞です。ただ一晩の出来事を歌っているのであれば、辞書通りの「睡眠」ですが、人生のことを歌っているのであれば、恐らくは「死」を表していると考えられます。

 

「眠り」が「死」であるならば、2番のサビの歌詞もさらに深まった解釈ができます。

「眠れぬ同士の部屋で今」この歌詞には、「死ねない」「死んでいない」人間であるという意味合いが加わり、2番サビのやるせなさを助長させるような働きをしているとも言えそうです。

個人的には「死ねない」の方かなと思います。「解説もないまま〜」以降の歌詞、生き方の正解もいつ死ぬのかもわからず続く日々への戸惑い、「勝手に終わらせることもできない日々への困惑」とも合う解釈な気がします。

 

若干脱線しましたが、最後の歌詞の話に戻りましょう。

「眠り」が「死」であるという解釈に基づくと、この歌詞には「おや?」と思う箇所が出てきてしまうのです。それが

 

もう朝になるね

 

です。死と朝が結びつく、そんな表現は珍しい気がします。どちらかといえば「死=夜」の方が一般的だと思います。「眠り」と結びつくのも夜の方ですよね。

この曲のすごいところ、最後のポイントはここで、「生=夜」「死=朝」という、既存概念を覆す比喩をはらんでいるところです。

前提の部分で「夜から朝に向かう一晩の変化を通して、人生が終わりに向かっている様を表している」という話をしました。まさにその通りで、曲の終わりとともに人生も終わるんです、多分。その根拠としては、これはまあサウンド的な話になってしまいますが、「時計の音」に着目して頂ければわかるかと思います。最後の最後、演奏が終わったその後、時計が止まる音が微かに入っているのに気が付いたでしょうか?一番最初のメロディーが始まったところでは、曲のBPMに合わせて時計の秒針音が聞こえますが、最後は時計が止まるんです。「最後の1秒」を表しているとも言えます。曲の終わりとともに人生も終わりを迎える、そんな表現が詰まっています。

サビに出てくる言葉は全て夜です。歌い出しが全て「今宵も」なのです。死を理解も受容もできなかった若い頃、死が自分の身にも降りかかるものだとわかっていても受け入れられなかった大人になってから、そして死を受容できた瞬間。生きている時間は全て夜であり、「終わりを迎える=死ぬ時」に朝を迎える。

斬新ではあるのですが、違和感はないのですよ。なんでなんだろうか。生活していてふと脳裏をよぎる思い出は絶望的なことばかりだからか。生きていて、良いこと、楽しいことはたくさんあるけれど、苦しいことや悲しいことや絶望的なことの方が心に残りやすいからか。生きている毎日が暗い夜のような日々という比喩は正しいのかもしれない、そう思います。大人になってから、なおさら。

そう考えると、死を迎えて人生をリセットするという意味では、死=朝というイメージもその通りだと言えます。最後の最後まで、考えずにはいられない歌詞が続いています。歌詞に深掘りが必要ない箇所がひとつもない。全てが流れるように繋がり、心の機微が鮮やかに表現されているこの曲、本当に本当に素晴らしい曲だと思います。

 

 

 

 

長々とあれこれ考察してみました。個人的な感想等を最後に書いておこうと思います。

私は、いわゆる青春時代にBUMP OF CHICKENAqua Timezのような、「生きるとは?死ぬとは?」ということを延々鬱々と考えるような楽曲を好んで聴いていました。暗い青春です。だからか、この『アポトーシス』という曲でテーマとしているものについては、ものすごく親しみを感じたというか、波長が合ったというか、一聴しただけで「これはヤバいやつだ」とビビビときたのです。「好きな曲」でも「良い曲」でもなく「ヤバい曲」。ハマる時の兆候です。

私はハマるとそれしか聴かない習性があり、今回も御多分に漏れず、ここ5日間位ひたすらずーっと聴いています。誇張なく一日中聴いています。でも飽きない。聴く度に心が震えて、熱い気持ちになる。新しい発見がある。作った人がどれくらい魂を込めて作ったんだろうか、歌詞はどれくらい考えて思いを詰め込んで書いたのだろうか、とか、とにかくそればかり考えてしまいました。寝ても覚めてもこの曲のことを考えてしまう、そんな時期が現在進行形で続いています。

そんなふうに思える音楽に出会える瞬間は、人生で最も幸せで最高な瞬間です。生きててよかったと、こんなに素晴らしい曲に出会えるなんて、人生捨てたもんじゃないなと心の底から思います。

あと、正直、ヒゲダンの音楽でこんな氷水ぶっかけられるような経験をするとは思いもしていませんでした。油断していた。防具つけずに試合に挑んで、ボッコボコに叩きのめされた気分です。すごいバンドだなと改めて思いました

『Editorial』も全部聴きました。ここまで頑張って解説したせいで語彙力ゼロの表現になってしまい申し訳ないですが、すごい曲がいっぱいあった。でも『アポトーシス』が突出して良かったと思います。また、他の曲と少し毛色の違う曲だと感じています。ヒゲダンの曲は「愛」を謳った曲が多いイメージです。それがダイレクトに伝わる曲がたくさんあると思います。それ故に「死」を扱ったこの曲は少し雰囲気が違うというか。

初めはその温度差に違和感を持ちました。でも、「いつか死ぬその時まできちんと愛せるように」というクライマックスでのメッセージは、もしかしたら他の曲のベースになっている考え方の表れなのかもしれない。そういった意味では、この曲がアルバムの2曲目、そしてリード曲として存在していることにも頷けます。とんでもない挑戦だとは思いますが、そんな勇気にも賞賛を送りたい気持ちです。

アポトーシス』、何度も繰り返し書いていますが、言葉選びが美しく、描写も秀逸で、久々にこんなに熱く語りたくなるような曲に出会えた気がします。初めて聴いた次の日には歌詞を全てルーズリーフに手書きで書き写し、どこがどうすごくて、繋がっていて、感動的だと感じたのかを分析していました。そうせずにはいられなかった。あまりにも素晴らしくて、この感動を誰かに伝えたい!もっと他の人にも聴いてもらいたい!そう思って今回筆をとった次第です。

私はこの曲について、メンバーのインタビューや他の人の考察記事等は一切見ておりません。ここに書いたのは純度100%の私の主観であり感想であり憶測です。全部書き切ってから他の記事を読もうと思っていたので。これからゆっくりインタビュー等を読んでみて、さらに考察が深まったら追記していこうかな、なんて思っています。

 

結局歌詞のこと書いただけでも「誰が読むんかい」というボリュームになってしまいました。最後まで読んでくれたあなたが素敵な夜を過ごせますように。

ご静聴ありがとうございました。

 

 

(出典元:『アポトーシス』 作詞:藤原聡)

 

 

 

追記1 (2021.9.22)

この記事を書いてから、他の人がどんなことを考えて聴いたのかが気になり、いくつかブログや音楽メディアの記事等を拝見しました。

その中で1つ「その視点は欠けていた!」と気付いたものを記載します。

タイトル『アポトーシス』の意味です。

「プログラム細胞死」という意味であると本人たちは様々なインタビューで答えています。

それがどういう意味なのか、分かりやすく、「なるほど!!」と思った記事は以下です。

Official髭男dism『Editorial』というアルバムの正体ーーヒゲダンの新たな試行錯誤が詰まったマスターピース - Real Sound|リアルサウンド

 

「限られた人間の命の営みを地球のプログラム細胞死になぞらえて描いた」というところです。地球がひとつの「身体」だとして、ひとりひとりの人間や生き物や建物が、地球を構成している「細胞」であるということ。そして、その「細胞」はいつか終わりを迎えること。

そういう視点から考えると、Bメロの「落ち葉や空と向き合う蝉」「校舎や駅」と「私達」が同じという歌詞は、文字通りの意味で解釈できるのか!と目から鱗が落ちました。

私はこのタイトルについては「いつか必ず死を迎える」という意味でしか取ってなかったので、「細胞」というところにどんな意味があるのかという視点が抜けていたなと気が付きました。

 

 

追記2 (2021.9.22)

他の方のブログと自分の記事を比較した時に、「自分と同じ解釈の人はあまりいないな」という印象を受けました。「一晩の葛藤を描いた曲」「愛する人と死について歌った曲」といった趣旨が大多数なようで、まあ似たような点はあるのですが、「こんなこと考えてるのは私だけなのか…」と思う部分もありつつ。まあその違いも楽しみのひとつなのですが。

少しでもいろんな人の考えを知りたいと思い、元よりヒゲダンのファンである友人に『アポトーシス』の感想を聞いてみたところ、「(サウンドが凄すぎて、歌詞は)よく分からなかった」と言われました。それならば!と私のブログを読んでもらい、オンラインであれこれ会話しました。公開処刑かとヒヤヒヤしましたが、「聴き方が変わった!」と感想を頂けたので書いて良かったと思いました。

 

友人に指摘されたことでなかなか興味深いことがありました。

「私の歌詞の見方が独特(他の人と違う)故に、他の人がしない解釈を繰り広げているのではないか?」ということです。

ここまで長々と私の記事を読んでくださった方はお分かりかと思いますが、私は曲のいろんな部分を対比する形で分析しております。例えば、1番と2番のBメロ同士を対比したり、サビだけをピックアップして深掘りしたり。

これは、この曲を数回聴いた時に幾つか引っかかる言葉があり、単語レベルのミクロ視点と全体を俯瞰するマクロ視点の両方で曲を眺めたい!と思い、手書きで歌詞を写してあれこれ考えていたことに起因しているように思います。繋がっている言葉を線で結んだり、共通する言葉を四角で囲ったり、さながら大学受験の時にやった、英語や国語の構造読解の様子を呈しておりました。

考えてみれば、今歌詞を見る時って、歌詞カードのような紙媒体で「歌詞の全体像」を見ることは少なくなっている気がしますね。

大体ネットで検索して、PCやスマホの画面をスクロールし、上から下へ一方的に追っている気がします。なるほど、私の歌詞の見方は変わっているのか。これも私ひとりでは気付かなかった視点です。

 

ただ、歌詞は多角的に見た方が面白いと思いますね。

作詞をしたことがある方ならわかると思いますが、曲の頭からスラスラ歌詞が書けることなんて多分そうそうあることではないです。

「1番のAメロでこの音、この音数だから、2番のAメロもそれに合わせよう」とか「ここはさっきの歌詞を踏襲した言葉を入れてみよう」とか、いろんな部分を行ったり来たりしながら、全体像を見てバランスをとって、時には遊び心を含ませたりもしつつ作って行くんじゃないかと推測します。

まあ解釈なんてものは個人に委ねられているものなので、そんなに作者に寄り添う必要もないんじゃないか、というのは至極真っ当、尤もな意見なのですが。

個人的には、ミクロ、マクロ、聴き手の視点、作り手の視点…いろんな視点から曲を見た方が、より深く楽しめるし、よりその曲を大切に聴けるようになるのではないかなと思っています。

 

 

追記3 (2021.9.24)

「この曲で歌われている死について、私の死なのか?愛する人の死なのか?」という疑問が存在しうるなということに気付きました。今日目が覚めた瞬間にひらめいたのですが、寝ている間何を考えていたのか、甚だ疑問です。

私は基本的に、どちらの死がどうこうという話ではなく、「死という概念そのもの」について歌われているのだと考えておりますが、強いて言えば、「私」の方に寄った解釈をしていました。

これ、実は「愛する人の死」の視点でも整合性が取れるんですよね、それに今日気付いてしまいました。追記する予定はなかったのですが、メモ程度に残しておきます。

 

 

追記4 (2021.9.24)

やはり作り手の心中が気になってしまい、雑誌を買って読んでみました。『Talking Rock!』9月号と『ROCKIN'ON JAPAN』10月号です。

2冊を読んで、最も印象的だったところを記しておきます。

まずは『Talking Rock!』から。ギターの小笹さんが話されているところです。

(『Editorial』全体について)

「万人がこの1曲を大好きだと言ってくれなかったとしても、大好きだと言ってくれる人が絶対いるだろうなと思える楽曲の集まり」

 

「例えばアルバム1枚を通して全曲を一度に好きになってほしいとかは思わないんですけど、聴いてもらったら絶対人生のどこかで刺さるフックみたいなものが全曲にあると思うんです。」

 

…フックが突き刺さってしまった人は私です。『アポトーシス』は特にそういう曲なのではないかと思います。

 

続いて、

『ROCKIN'ON JAPAN』から。こちらも小笹さんのインタビューです。

(『アポトーシス』について)

「詞って、すべてを書かなくても、想像力に委ねることができるじゃないですか。

(中略)

みんなが思ったこと、それから、これから思うことが絶対にあるテーマだと思うんですけど、その中で、言葉にしたいけどできなかったことを、ちゃんと表現してくれつつ、そこを言い切られたら困るみたいなことには、きれいに触れていないっていうか。詞でできる表現のいちばんすごいところを縫っていったんじゃないかな。」

 

詞だからできる表現の真骨頂だという風に話されています。同感です。全く同感です。

 

あと、藤原さんがその後に「怯えているまま楽曲が終わる」と話されていたので、私の解釈は深読みしすぎたのか…と思いつつ。まあ解釈も感想も、曲から得るものは個人に委ねられたものなのでまあいいかという気持ちです。

 

 

追記5 (2021.9.24)

今まで、Official髭男dismの曲で特にピンと来る曲と出会っておらず、故に彼らのことを特段知ろうと思ったこともあまりなかったのですが、『アポトーシス』で完全に「気になる存在」となってしまいました。

先日買い物ついでにタワレコで『Editorial』を見かけ、サブスクでは勿論全部聴いたのですが、「こんな素敵な音楽に出会わせてくれてありがとう」という感謝の気持ちと、「やはり素晴らしいアルバムは手元に置いておきたい」という思いが強まり、購入するに至りました。缶バッジとポストカードも付属していて、またこのポストカードにも、こちらが「恐れ入りました」と思うようなことが書いてあり、さらにさらに「気になる存在」となっています。

昔の曲もいろいろ聴いたり、Twitterを覗いてみたり、どんどん興味が深まり、バンド名を見るだけで心なしかドキドキしてしまうような、潤いのある日々が続いております。もしかしてこの気持ちって……??(ここで星野源『恋』が流れる。)

 

関係ないですけど、Official髭男dismの曲が今これだけ多くの人に支持されているその背景には、星野源が切り拓いてきた「日本のポップが一般聴者に受け入れられる土台」があると思っていたりいなかったり。まあこの辺の話はそんなにまとまっている訳ではないので、軽く聞き流して下さいませ。

構成とか雰囲気を見る限り、ヒットしている曲全てが万人受けするような曲ではない印象が強いので、例えば10年前だったらどうだろう?などといろいろ考え始めてしまいます。バンドとしてめちゃくちゃ面白いことをやっているのは100%事実なんだけれども、じゃあそれが所謂「お茶の間ウケ」するかというと全く別の話であって。バンドとしては最高な演奏をしているのに売れないバンドなんてごまんとあるのです、悲しいですが。

昨日偶然見ていたスペースシャワーTVの歌詞検索ランキング、1位が『Cry Baby』でしたが、この曲はまさにスーパー高度なことをやっている面白い曲で、頭には残るし口ずさんでしまうんだけど、普通じゃ考えられない曲構成をしているのです。転調の概念を覆すつくり。音楽に対してライトな層が聴くにはあまりにヘビーな曲だなと思うのですが、そうさせないのは彼らの技量か、はたまた日本の音楽シーンの変遷が生み出した産物か、その両方か。

タイアップの影響もあるとは思うけれど、それにしても勢いが凄い。このままどこまでも行ってくれ!という気持ちで全力応援しております。

 

 

(引用、参考:『Talking Rock!』9月号

『ROCKIN'ON JAPAN』10月号)

LOSE but WIN 〜近況とポケモンについて語る回〜

久々に文章でも書いたろか!と思ってやってきました、管理人の真珠丸です。

 

いやまあ、常に何か書きたいとは思っているし、スマホのメモ帳に下書きも色々していたりしていなかったりしているんですが、なかなか推敲する時間が取れないという。

 

急に私事なんですけど、ストレスによる適応障害を発症し、3か月程仕事を休んでおりました。

早めに手を打ったこともあり、すぐに回復したので、8月から試験出社的なものを実施しております。給与も交通費も出ません。傷病手当金のみを頼って生きております。貯金は大事だなーと痛感しております。過去の自分よく頑張った。

 

適応障害は明確な原因があって発症するものだそうで、私の場合は仕事や上司に関するストレスと、おそらく生活環境の変化による負荷の上昇が原因かなと思われます。

症状としては微熱が続く(2、3週間)、過度な緊張感(会社のメールを開くのが怖いなど)、気持ち悪い、倦怠感、睡眠障害(私の場合は早朝覚醒)、食欲不振や下痢など。

このご時世なので「もしかしてコロナでは??」と思い、発熱外来に行きPCR検査も受けましたが陰性、内科に行ったけれど原因わからず。最終的に「心療内科か精神科の受診を考えてみた方がいい」と言われて心療内科に行きました。

1つ目の心療内科の先生は、こちらの質問や話を聞いているようには思えない回答や対応で、非常に高圧的な言い方をする先生だったため、このままこの病院に通っているとさらに悪化すると思い、早々に見切りをつけました。

4、5月あたりだったためどこの病院も混んでおり、なかなか予約が取れず難航しましたが、ようやく2つ目の心療内科を見つけます。そちらの先生は非常に優しく会話もスムーズに進み、また治療の方針も「なるべく依存性のある薬を使いたくない」という私の方針と合致していたため、主治医として通院することに決めました。

休養期間は主に家事をやりつつ、散歩やストレッチで体を動かし、ゲームや音楽、手芸などの趣味に取り組むよう心がけました。

かなり早い段階で手を打ったので、適応障害適応障害でも非常に軽度な症状に抑えられたんじゃないかなと思います。何事にも早期発見、早期対応は大事。

身体や心を壊してまで、無理してやる仕事なんてないです。自分が一番大事です。というのを身を以て感じました。身を以てしないと感じられないのは本当に本当にお馬鹿としか言いようがないのですが。

周りが必死に止めたり客観的に見ておかしいぞと警告を出してくれたりしていたのに、「自分は大丈夫」「他の人の方がいっぱい残業してるし頑張ってる」と思って頑張りすぎてしまった結果がこれ。ど阿呆。もう絶対こんなことにならないよう気をつけます。

 

これからどうしよっかなーといろいろ考えてしまうのですが、とりあえずもうほぼ回復しているので、元々の仕事に戻ろっかなと思います。会社、めちゃくちゃのグダグダなので、これを機に辞めちゃおうかなとか考えたりもしたのですが、転職先を探すほどのバイタリティもなかったし、もうひとつくらいこの会社で学べることもあるんじゃないかなと思い直したので、一旦留まろうかと。

人生設計とかを考え出すと本当にキリがないので、あんまり考えてないですけど。いや、考えろよって話なんですが。まあきっとどんな人生になっても楽しいんじゃないですか、子どもがいてもいなくても、結婚しててもしてなくても、自分がそれで良いと思っているならそれが正解、って感じの、お気楽能天気ポジティブ思考で生きているので、まあいいかみたいな。いつか後悔しないといいですが。

とりあえず好きなことやって好きな人と楽しく生きていられたらそれが一番の幸せなのではと思っております次第。

 

好きなことがたくさんあるのっていいなと実感したこのコロナ禍でしたね。ライブやらショッピングやら旅行やらに行けないのは残念だけど、家の中で1人でも楽しめる趣味が捗るのは最高です。

最近はベランダでのガーデニングとパン作りにハマっていて、毎日筋トレとストレッチもやっています。もう何を目指しているのかわからない。

 

あとはポケモンをやっています。11月にファン待望のダイパリメイクが来るので、それに向けて肩をグルングルン回して待っております。

 

ポケモンの話はし始めるとあまりに長くなるのでまたの機会にしますが、1つだけ。

ポケモンアニメを見返した話だけさせてください。(勝手にしてください。)

 

見返すに至った経緯としては、先日小田急線内で発生した「女性を狙った殺人未遂事件」のニュースを見た時に、凄い恐怖を感じたと同時に、「こんな理不尽な理由で殺されるかもしれないようなご時世、死ぬ前にやりたいことをちゃんと考えよう」と思ったんですね。

バケットリストとかいうものも流行っているらしいし、こういう考えに至る人は多いのかもしれないですね。まあ私は100個もやりたいことはなさそうなので、日々思いついたら小さいことから実践していこうと思い立ったわけです。

1個目に思いついたのが、「好きなポケモンの話をもう一回見たい」でした。何故なのかは知りません。なぜか心が猛烈にポケモンを欲していた。

仕事も休んでいるし、特にやることもないので、好きな話をピックアップしました。

私はアドバンスジェネレーション編、ゲームで言うとホウエン地方を舞台としたルビー・サファイアがジャストの世代です。で、これはアニメを本当にちゃんと見ていた人しか知らないと思うのですが、サトシがホウエンリーグに出場した後、ダイヤモンド・パール編が始まるまでの1年間、カントーバトルフロンティア編っていうのがあるんですけど、私はこれがめちゃくちゃ好きで。エメラルド版独自の要素なんですけれども、それをアニメに落とし込んだ感じです。

7つの各バトル施設のトップであるフロンティアブレーン(ジムリーダーみたいな人)を倒していく話なんですが、今見返すといろんなギミックや伏線が絡んでて、「あー!!」っていう気持ちになっています。どんな気持ちよ。

各ブレーン戦があまりにも好きすぎて、メモを取りながらポケモンを見るという、当時小学生とは思えない、非常に高い社会人スキルを発揮して視聴していたのです。ア●プラで見放題になる時代が来るとは思いもしませんでした。

当然、7つの施設、7人のバトルが全て大好きなのですが、ゲームでも一番やり込んでいて思い入れのあるのが「バトルピラミッド」という施設でした。小学生だった私は、ポケモン個体値とか種族値とかそんなものは露知らず、ネットもないので攻略本(見開き1ページ)を頼りに進めていました。本当に難しかった。

ダンジョンの中を探検し、各フロアに1箇所ある「上のフロアに上がる道」を探します。7段クリアで1周。持ち物は持ち込めず、ダンジョン内で自力調達、視界が狭い状態で始まり、バトルに勝つごとに視界が広がる、といったような仕様です。今思い返しても楽しすぎる。「ピラミッド」という遺跡へのロマン、そして「バトルアドベンチャー」という挑戦のネーミングも最高。ブレーンが出すポケモンはレジ3体という、私の好みどストライク。手持ちポケモンの能力もさる事ながら、状況の把握能力、運、戦術、そしてどこまでいけるか踏み出す勇気も大事な要素となってくる。わーーアツい、アツすぎる。なんでRSリメイクの時にこれもリメイクしてくれなかったんだ!!!綺麗な画面でピラミッド探検したかった!!!!

そんなわけで、私がバトルピラミッドにかける思いはかなり大きかったです、これは小学生の当時もそうで、他の施設に比べて圧倒的に思い入れが強かった。だから、アニメでもバトルピラミッドが7つの施設のうち一番最後の砦として位置していることが判明した時には心の底から嬉しかったです。

アニメでは珍しく、サトシが2回負けるので、ピラミッドのくだりは比較的長いのです。見返している中で、当時の感情やドキドキも蘇ってきて、「ポケモンって最高だな」と熱い気持ちになっていました。

 

アニメや漫画、小説、映画、音楽などいろんなアートやカルチャーやコンテンツがありますが、「頭をかち割られた」経験ってした事ありますか?この「頭をかち割る」って表現は漫画『3月のライオン』で出てくる表現ですが、ざっくり「自分の中の既存の固定概念や思考をぶった斬る程の衝撃的な体験」とでも言いましょうか、そんな感覚です。

私は先程挙げたポケモンの話を見ていて、「かち割られた」ことがありました。

サトシがブレーンに2回目の敗北を喫した場面、バトルピラミッドのフロンティアブレーン、ジンダイがサトシに放った台詞です。

 

「素直に負けを認める、それが成長の第一歩」

 

今ならそんなに衝撃受けるほどのことでも…と思うかもしれませんが、今回見返していて、このセリフが出てきた時に、当時のヒリヒリした感情が思い起こされて、もしかしたらこの言葉に人生を救われたのかもなと思ってしまいました。

リアルタイムで視聴していた時、私は11歳、小学5年生。自分で言うのも変ですが、かなり優等生で成績も良い子どもでした。今思えば当時が人生のピークと言っても過言ではありません。あとは下り坂です。冗談です。

プライドが高く、自分ができないことや自分が何かで負けるということが本当に認められない子どもだったと思います。できる故の傲慢さというか。人に頼るのも嫌。でもできないのも嫌。負けず嫌いも程度を超えると面倒なだけです。勉強でわからないところがあれば物に当たったりキレたりしてました。「負ける」ことに向き合えず、反省とか振り返りみたいなのが本当に苦手だった。「負け=悪いこと、良くないこと」というイメージにとらわれていた。

環境のせいにするわけではないけれど、学校では「勉強のできる学級委員タイプ」、通っていた受験のための塾ではテストの点だけがものを言う世界、今思い返すと息苦しい生活だったと言えなくもないかと思います。「負ける=今自分のいる場所から落ちる」くらいの考え方しかできなかったので、無理もないですね。力の足りない自分が許せないのと同時に、自分よりすごい周りの人たちを認めることが癪だった。

そんな私に、この言葉は尋常じゃなく響きました。ハッとさせられたというか。自分の今までの考え方がいかに浅はかだったか、凝り固まっていたか、くだらないことに固執していたか、そして自分以外の周りの人たちを大切にできていなかったか…。そういうことを全て思い知らされた気がして、後悔と恥ずかしさに襲われたのを覚えています。それこそ『3月のライオン』で島田さんに「かち割られた」桐山くんと全く同じような感情です。

人間そう簡単に変わることはできないけれど、あの言葉を聞いてから、多少は変われたかなと思います。少なくとも周りの人を認めて受け入れることはできるようになった。世の中にはいろんな人がいて、自分よりありとあらゆる能力が優れている人たちがいる。自分じゃ絶対に敵わない能力を持った人もいる。今まではただ劣等感に苛まれ悔しいだけだったけれど、そういう人と出会って交流する中で、自分ができることが増えたり、新しい考え方を見つけたりできることを知った。また、自分が苦手なことを他の人に手伝ってもらったり、逆に自分の得意なことで周りの人を補ったり。完璧な人なんていないから、自分や周りの苦手なことと得意なことをよく見て動くことの大切さが少しずつわかるようになりました。

ここまで来るのにすごく時間がかかったし、今でもきちんとできているのか確信は持てないですけど。負けることで自分の今の姿を見つめ直し、分析し、再構築する。これとても大事なことですよね。柔軟な考え方や態度は、意識しないと保てない。

別に負けたり失敗したり結果が振るわなかったりしてもいいんだな、そこからまた学べばいいんだって思えたことで、肩の荷がおりたことはたくさんあって、少し生きやすくなったなと思います。今は負け戦の連続ですよ、もう少し頑張って頂きたいところですが。

 

「話し始めると長くなるからひとつだけ話したい」とか言っておきながら、既にめちゃくちゃ長文になってしまった。いやこれ、ポケモンの開発チームかアニメ制作チームにファンレターとして送れよって感じですよね。隊長ありがとう。レジアイス可愛い。そして願わくばバトルフロンティアをどこかで復刻して頂けると泣いて喜びます。オンラインの要素も最高だけど、オフラインのやり込み要素、ください。ついでにポケマスでも実装待ってます。

 

今回は特にテーマを決めずに書いたので、乱文駄文となりつつあります、失礼いたしました。

ここは音楽のブログだけど、もう少しフランクにいろいろ広げて緩く続けていけたらなと思ってもいます。またポケモンのこととかも書こうかな。これからも何卒。皆さんお身体にお気をつけて。

 

 

(追伸)

ポケモンで「隊長」表記だとピオニーさんになるんですかね。私はピオニー隊長もめちゃくちゃ好きです。ジンダイさんは明晰で計算高い、ガチな隊長ですけど、ピオニーさんはちょっと頭が弱くて、行き当たりばったりで、でもそれもそれで憎めなくて良いですよね。

 

(追伸2)

私はレジ系が全準伝の中で最も好きで、なんなら全ポケモンの中でも5本の指に入るくらいレジアイスが好きなんですが、何がきっかけで好きになったのか覚えていないんですよね。レジが先か隊長が先か…鶏と卵の論争…

レジ系の可愛いところは、表情が一切ない代わりに点字部分を点滅させて全力で感情表現をするところです。一生愛でたい。

 

(追伸3)

アニメのカントーバトルフロンティア編で描かれるフロンティアブレーンたち、人間味があってめちゃくちゃ好感度高いんですよ。アザミがタケシに、リラがサトシに恋愛感情を抱く描写があります。リラのところはマジで良いです、リラのセリフが甘酸っぱくてなんだこれと思いました。何の少女漫画?

あとは隊長がサトシに若い頃の自分を重ねている(と私は読んだ)描写があるんですが、あれはゲームの踏襲ですよね、多分。だとしたらゲームへのリスペクトがすごすぎて脱帽です。

 

スピッツがデビュー30周年ということで、好きな曲を詰め込んだプレイリストを作った話。

ご無沙汰しています。『Sounds Good!!』管理人の真珠丸です。

新型コロナウイルスによる感染症が未だ終息の気配を見せない昨今ですが、いかがお過ごしでしょうか?皆様がどうか健康に過ごしていることを願うばかりです。

 

さて、先日、といっても結構前なのですが、こんなトピックを見つけました。

 

www.universal-music.co.jp

 

スピッツってデビューして30年も経つんだ!」とびっくりしましたが、よく考えたら数年前に「THIRTY30FIFTY50」というライブもやっていたし、まあそうかと。

でも30年間メンバーチェンジもなくこの変動の激しい音楽シーンで生き残り、今でも変わらず美しい歌声と音楽を届けてくれているって、本当にすごいことだと思うんですよね。

かく言う私も、一番初めに触れたロックミュージックがスピッツでした。まさに「自分の原点の音楽」がスピッツです。スピッツを聴くようになって、いろいろなバンドやミュージシャンの音楽に興味を持つようになりました。

そんなスピッツのデビュー30周年、一緒にお祝いをしたい!

ということで、私なりにスピッツのプレイリストを作ってみようと思い立ちました。

しかし、スピッツというバンドは本当に曲数が多い!そして名曲、良曲、思い出のある曲が本当に本当に多い!!

あのアルバムの曲が少ないかも、この年代の曲はこのくらい入れよう、あ、でもそうするとこっちが入らない・・・とあれこれ悩んで考えましたが、結局全てを放棄し、「今この瞬間に聴きたいと思った曲を年代やアルバムのバランスを考慮せずにひたすらぶち込んでいく」プレイリストが完成しました!

曲数は57曲!全然絞れていない!ですが、自分なりにとても満足いくプレイリストができたと自負しております。気まぐれに選んだ曲ではありますが、いつ聴いても素晴らしいと思える曲たちで感動しております。

もしよければ、spotifyで公開しておりますので、聴いてみてくださいませ。

 

 

 選定にあたり、各楽曲にひとことずつコメントしていこうと思うので、気が向いたら読んでみてくださいね。

 

ハチミツ

アルバム『ハチミツ』はスピッツのアルバムの中でも5本の指に入る名盤だと思っていて、その1曲目を飾るに相応しい、うまく言えないけれど「スピッツらしさ」が200%詰まった曲だと思っている。ので1番初めに選んだ。

スピカ

「幸せは途切れながらも続くのです」この歌詞をとても大切に思いながら日々過ごしております。

『さざなみCD』以降リアルタイムで追っている人間なので、スピッツという沼に転落したのは『さざなみCD』があまりに良すぎたからだと思っています。

歌ウサギ

「『何かを探して何処かへ行こう』とかそんなどうでもいい歌ではなく」という歌詞にスピッツの柔らかくも刺々しい反骨精神を感じた。

「敬意とか勇気とか生きる意味とか叫べるほど偉くもなく」という歌詞に謙虚さと、やはり反骨精神を感じた。ああ、これがロックだよ。直接的ではない表現がとても愛しい。

みそか

ゴリゴリしたロックな曲が聴きたい時に決まって選ぶのはアルバム『スーベニア』。これもまた最高に素晴らしいアルバム。ゴリゴリロック×草野さんの伸びやかで爽やかな声がたまらない。

初恋に捧ぐ

元は初恋の嵐というバンドの曲。聴いた瞬間「スピッツの曲じゃないな」とわかるのに、完全にものにしていてとても良い。

フェイクファー

優しい気持ちになれる曲。これ聴いて嫌悪感を持つ人なんていないんじゃないかとさえ思える、平和で暖かい曲。

不死身のヴィーナス

『空の飛び方』もめちゃくちゃいいアルバム。ライブ映えする曲。ギターのリフが天才的に良くて、大好きな曲。

ファン投票で一位だったみたいな噂を聞いた事がある。「猫ちぐらの夕べ」で演奏されていてテンションが爆上がった。なんでこれがシングルじゃないのかわからないくらい完成度が高くて美しい曲だと思う。まあスピッツにシングルかそうでないかなんて物差しを当てる方が間違いですね。

小さな生き物

体温というか、温もりというか、とにかくあたたかさを感じる曲。前にライブで聴けたことがあるのですが、嬉しすぎて泣きそうになりました。心がじんわりする。

放浪カモメはどこまでも

ドラムがめちゃかっこいい。今気付いたのですが、この辺り生き物の曲ばかりですね。

俺のすべて

ライブで草野さんが器用にタンバリンを叩きながら歌う姿に「(タンバリンも上手いし歌も上手いし)すげー!!」ってなったのをよく覚えています。この曲に関しては、曲そのものも勿論だけど、ライブの思い出に直結するから好きなんだろうなと思います。

クリスピー

とにかく耳に残る「クリスピーはもらった」の歌詞。ちょっとずつ味が違うのが妙にツボ。何が言いたい曲なのかは良くわからないけれど、語感で勝利している曲。

ビギナー

「幼い頃の魔法 心で唱えたら 安らげることもあるけど」という歌詞にたくさん背中を押してもらった。

歩き出せ、クローバー

『ハチミツ』の中で一番聴いたと思う。曲の構成が少し変わっているので初めて聴いた時は面食らった記憶がある。「段々わかってきたのさ」のあたりがとても好きです。

旅の途中

スピッツのおすすめアルバム教えて」と言われた時に、個人的に一番に挙げるのが『三日月ロック』。いい意味でクセの強い曲揃いのアルバムの中で、一番消化に良い曲だと思う。

SJ

名曲揃いの『醒めない』の中で若干霞みがちに見える気がするが、聴かないのはもったいない隠れた名曲(だと私は思っている)。醒めないのツアーのチケットが取れずもう聴けないのかなあと思っていたところ、偶然足を運んだTHIRTY30FIFTY50の公演のアンコールで演奏され、ものすごく嬉しかった。珍しく転調する曲。ところでSJって何?

バニーガール

一聴すると「普通の爽やかなロック」っぽい曲なんだけど、なぜか聴き流せない魅力があって、もう一回と聴いているうちに虜になっている。歌詞が爽やかの対極をいっているような気がする。気がしているだけですが。歌詞は置いておいて、スピッツの曲の中ではかなりとっつきやすいというか、聴きやすい曲だと思う。

優しいあの子

朝ドラの主題歌となり、大ヒットしたので、聴いたことある方も多いかもしれない。まさに夏空のように澄んだ曲。これを結成30年、齢50を過ぎた方々が作ったというのが信じられない。素晴らしい。

運命の人

スピッツの曲を知っていく過程で、4番目に覚えた曲でした。「愛はコンビニでも買える」の意味が、当時は全くわからなかった。

コメット

凛としたピアノの音色が美しい。黄色い金魚「コメット」から取っているんだと思うけど、音的には「彗星」の方を彷彿させるような気がする。調べたら金魚のコメットは泳ぐ姿が箒星のようだからとつけられた名称だそうで、またひとつ賢くなった。

幻のドラゴン

アルバム『とげまる』の収録曲を初めて見た時に、最もワクワクした曲だった。少年心をくすぐられるのはタイトルだけではなく、曲そのものも。ジャギジャギしたギターがとても良い。間奏からのラスサビ前の入りの爽快感が至高。この曲を聴くと、宮部みゆきさんの『ブレイブ・ストーリー』に出てくる赤いドラゴン「ジョゾ」を思い出す。

けもの道

「東京の日の出」をその土地によって変えて歌う、ライブの定番曲。

ほのほ

『スーベニア』収録の名曲のひとつ。「炎」のことらしいけれど、「ほのほ」というひらがな+歴史的仮名遣いで表記することで、燃え上がるというよりも優しくあたたかい灯火のような印象を受ける。

雪風

「まだ歌っていけるかい?」で唐突に終わるの、背筋が凍るようなハッとした気持ちになった(雪風だけに)。曲自体はとても優しくてあたたかいんだけど、歌詞が内省的なものにも読み取れてしまってあれこれ考えてしまった。が、スピッツは不滅らしいので安心した。

迷子の兵隊

ベースがかっこよくて好き。

不思議

『さざなみCD』を買った当時から今の今まで大好きでいつでも聴きたくなってしまう曲。曲名は「不思議」だけど歌詞では「フシギ」とカタカナで表記されているのが面白いと思う。初めて聴いた時は「セットミーフリー」の意味がわからなかったけれど、「スピッツが英語使ってる!」と驚いた記憶があります。

ロビンソン

言わずと知れた名曲であり大ヒット曲。スピッツの大ヒット曲というと、『チェリー』『空も飛べるはず』『ロビンソン』なんじゃないかなと思いますが、私は『ロビンソン』は非常によく聴きます。明確には書かれていないですが、春のこの時期に聴きたくなります。

夜を駆ける

初めて行ったスピッツのライブで1曲目に聴いたのと、大学時代のサークルで初めて演奏したスピッツの曲だったので、個人的に思い入れのある大切な曲。ドラムが「夜」の重厚感と「駆ける」軽快さを併せ持っていて、圧巻。

正夢

今まで聴いたありとあらゆる曲の中で、これほどまでに多幸感に満ちた曲はないと思っている。スピッツの曲の中で一番回数を聴いてきている曲。この曲を聴いたことがない人がもしいたら、羨ましい。この曲と出会った瞬間の衝撃をもう一回味わいたい。

インディゴ地平線

スピッツの(というか草野さんの)言語センスは抜群に素晴らしいのだけれど、特にこういう英語(カタカナ)と日本語(漢字)の組み合わせでできた言葉が素敵。造語なのにしっくりくる。インディゴという言葉をこの曲で知りました。ロッキンで演奏していて、「え、この曲やる?これはワンマンか??」と思ったのを覚えている。スピッツのフェスでのセトリはワンマンの短縮版。

はぐれ狼

最新のアルバム『見っけ』、聴けば聴くほど良いアルバムなので、全曲挙げたい気分ではありましたが、まずはこれかなと。(※優しいあの子も見っけ収録)

夕焼け

夕焼けとしか表現できないような、ほんのりあったかい曲。いわゆるB面集である『おるたな』に入っている名曲です。

えにし

爽快なロック!「君に出会えて良かった」で終わるのがさっぱりしていて良い。

夏の魔物

初期スピッツの代表作と言っても過言ではない曲。「夏の魔物」っていう単語自体がもはやあちらこちらで使われている気がする。造語の神様、スピッツ

モリーズ・カスタム

スピッツはテイストの違う曲がごまんとあるので、どんな曲を聴いても「スピッツらしくない」と思うことはないのだが、メモリーズはちょっと一風変わった曲だと思う。カスタム派です。

プール

個人的な感想だけど、『夏の魔物』を聴いた後に聴きたくなる曲。夏繋がりだからか?

ババロア

今聴いても新しさすら感じる音作り。『三日月ロック』はやはりクセが強い。

スワン

とても消化に良い曲。改めて思ったけれど、生き物の名前が入ってる曲多いですね。

ガーベラ

ゆったりした、ちょっとテンションダウンした曲を選ぶ時に、いつも一番に挙げるのがこの曲。歌うようなギターソロが妖艶でおすすめ。

初夏の日

アコギの音が澄んだ川のせせらぎのように爽やかさを感じさせてくれる曲。うちの母親イチオシらしい。

裸のままで

テンションを上げたい時によく聴く。自分が初めて買ったスピッツのアルバムがCYCLE HITの前半の方なので、それはそれはもう、擦り切れるほど聴きましたとも。買った時は発売してからしばらく経った頃なので、中学生だったかな?テンションの高い曲が好きだったので、この曲を特に好んで聴いていました。

Y

個人的には『ガーベラ』と同じ枠でよく聴く曲。

ヒビスクス

緩急が見事な曲だと思う。美しいピアノで始まり、ロックサウンドを聴かせ、イントロとよく似た静かな最後へ向かう。『醒めない』の二大支柱が『コメット』と『ヒビスクス』だと思っていて、私は『コメット』ばかり聴いていたけれど、この曲の美しさも受け止めらるようになった。

花と虫

曲ももちろんだけど、歌詞がすごく良い。改めて読むと小説を読んだような感傷的な気持ちになる。

愛のことば

シングルカット自体はされていないものの、スピッツの名曲として挙げる人も多いこの曲。何をテーマにしているのかはわからないけれど、なんとなくこの曲を聴くと戦争を連想する。『夜を駆ける』もそうなんですけど。

僕のギター

『さざなみCD』の1曲目、これももう数えきれないほど聴いた曲。歌い出し「霧雨に濡れてたら」という部分、曲の雰囲気や音色と、霧雨という歌詞がぴったりだと思う。

ヤマブキ

これもまた爽やかで元気をもらえる。終わり方が唐突な印象を受けたけれど、草野さんの美しい声で終わるというのもかなりありだなと思えるので好きです。

潮騒ちゃん

潮騒ちゃん」とはなんなのか、よくわからないけれど、ノリがとても良い。草野さんの方言を聴ける、それだけで最高です。

猫になりたい

これも言わずと知れた名曲。猫は可愛い。もふもふのあったかさがそのまま音楽になったような曲。

君は太陽

「理想の世界じゃないけど 大丈夫そうなんで」この歌詞がとても好きで、かなり救われているというか。自分の思い通りにいかないことがあっても大丈夫だって、別に過去の自分や周りを裏切ることにはならないなと少し軽い気持ちになれる。

群青

スピッツって「嘘」に対して寛容だよなと思う。心が広くて優しい。

若葉

最後の「今 君の知らない道を 歩き始める」という歌詞の前向きさがとても好き。

「暖めるための火を絶やさないように 大事なものまで燃やす」って表現があまりにもしっくりくる秀逸な表現だと思う。

ワタリ

やっぱりロックと言えば『スーベニア』なんですよね(n回目)

さらさら

さらさらといいつつ割と重厚感のある曲。「ゴリゴリ力で潰されそうで」からがすごく良い。この辺りで「さらさら」という曲名にも納得がいくようになる気がする。

ヘビーメロウ

とても耳に馴染みやすい曲だと思う。「花は咲いたぜ」みたいな、「〜ぜ」っていう歌詞がなんだか可愛らしくて好き。

ありがとさん

「聴いてくれてありがとう」の意をこめて。

 

今見返すと「なんで入れなかったんだ・・・」と思う曲をここに記しておきます。

エンドロールには早すぎる、8823、君が思い出になる前に、みなと、オパビニア

 

本当に数えきれないくらいの名曲があって、思い入れのある曲もたくさんあって、スピッツに出会えて良かったなあと心の底から思います。

ちなみにですが、「スピッツのアルバムでおすすめを5枚挙げて」と言われたら、

『三日月ロック』『スーベニア』『さざなみCD』『ハチミツ』『空の飛び方』

と答えるようにしています。

それでは、皆様も素敵なミュージックライフを!スピッツデビュー30年、おめでとう!!

これからのライブ 〜ライブとは何なのかを改めて考えてみた〜

こんばんは!「Sounds Good!!」管理人の真珠丸です。

 

本日5/25、緊急事態宣言が解除されましたね!

ひとまず安心するとともに、気は抜けないなというのが私の心境です。

以前のように毎週末出かけるなんてことはまだできないなと。もうしばらく注意しつつ、最低限の外出に控えておこうかな、なんて思います。

 

さて、こんな記事を見かけて気になってしまいました。

www.sankei.com

 

「ライブハウス再開で業界と専門家が協議へ 西村担当相『6月中旬にも再開』」

 

 ・・・果たしてそんなことができるのでしょうか?

 

ライブハウスに行ったことがあるかい?

クラスターが発生したと一躍話題になっていた「ライブハウス」という場所。足を運んだことがあるでしょうか?

 

私はライブがかなり大好きでして、何千人もの人を収容できる大きなライブハウスから、数百人、もしかしたらもっと少ないかもしれない規模の小さなライブハウスまで、いくつかの施設に行ったことがあります。自分の乏しい体験で恐縮ですが、お話させていただこうと思います。

 

まず小さなライブハウスの話から。これは想像に難くないと思いますが、まず「ソーシャルディスタンス」なんてのを忠実に守っていたら人が収容できません。絶対赤字でしょ。10人くらいしか入らないんじゃないか・・・?とすら思います。

そもそもステージ上でソーシャルディスタンスが確保できない気がするな。

「感染防止策が講じられれば」再開できるのであれば、こういう場所の営業再開は厳しいんじゃないかと思ってしまいます。しかしですよ、クラウドファンディングの様子などを見ていても、やはり規模が小さめなライブハウスほど経営が厳しくなるんじゃないかと思うのですよ・・・。辛い現状だなあと頭を抱えることしかできません。

 

それでは大きいライブハウスの話をしますか。大きいライブハウスとは、そうですね、有名どころと言っても過言ではないでしょうか。ZEPP系列や、新木場STUDIO COASTとか、あのくらいの規模です。(新木場は本来はライブハウスではないのですが、まあそこはおいといて。)

このあたりだと行ったことのある方も多いかもしれませんね。大きな広場がないので、とにかく皆同じ場所に待機し、整理番号が呼ばれるまで待つ。中に入ればコインロッカーを探すのに一苦労、ドリンクを引き換えるのにもう一苦労。なぜ苦労するかと言えば、もうそれはそれは人でごった返しているからです。

そしてフロアに入ればもう人だらけ。自分の立ち位置を確保するのに精一杯なんてライブもざらにあります。ステージ上にアーティストが登場すれば、皆前の方に押しかける。

終演後は終演後でまた出るのに一苦労。皆汗だくで興奮冷めやらぬまま、一緒に来た友人や家族、恋人と感想を言い合っています。

これがライブハウスです。少なくとも、私が今まで行ったライブハウスの公演はこんな感じでした。

 

人少なくすれば解決じゃん?

とはいえ、上述したのは以前の話。

これからは新しい生活様式を追い求めなくてはなりません。

「人が多くて距離保てないなら、入場人数を減らせばいいじゃん」

これは解決方法として、一番簡単なことかもしれないですね。

まず場所は広いライブハウス限定です。

人を減らして待機場所に余裕を持たせ、一人一人検温する。マスク着用必須。

ドリンクもなくす。なぜならスタッフさんとの接点が増えるし、飲み終わった後のごみを考えると感染リスクが上がるから。

物販もなしですね、人が長蛇の列を作った場合、待機場所がなくなってしまいます。

フロアでもきちんとソーシャルディスタンスを保ちましょう。前後左右の人と2mの感覚を空けて観ること。動くのは禁止。最前列という概念もなくなります。ステージともソーシャルディスタンス。

飛沫感染の可能性を考えると、声を出すのも、歌うのも、話すのも禁止になりますね。

 

どうでしょう?新しいライブハウスのスタンスは?

 

 

・・・それ、本当に楽しいか?

 

ライブって何なのか?何を求めてライブハウスに足を運ぶのか?

経営の観点から考えると、「そろそろ営業再開しないとまずい」というのは至極真っ当な意見だと思います。だってかれこれもう3か月近く閉鎖されているのです。政府の補助金だけでやっていけるとは思えない。ライブハウス側もそうですし、アーティスト側もそうです。ライブ(というか物販)は貴重な収入源とも言われます。いい加減、ライブができないと破綻してしまう業界の方は非常に多いと思います。

 

でも、でもですよ、「感染拡大の防止策」ってそんな簡単に取れるのか?

ウイルスに関する研究だって、まだ何か正確なエビデンスや研究成果が出ているとは言い難いこの状況です。敵の実情を把握していないのに、策は打てるのか?

しかも「6月中下旬から再開」、あと1か月ないのですよね?例えば防止策としてサーモグラフィーや体温計が必要となったり、ライブハウスの動線やシステムを変えないといけなくなったりした場合、そんな急に準備できるのでしょうか?その費用はどうやって捻出する?

などと考え始めると、先述した記事は少々曖昧で見通しが甘いのではないかと思わざるを得ません。

 

「それを言い出したら何もできないじゃないか」という意見もごもっともです。何か手を打たないと経済は停滞したままです。この業界だって、このまま立ち行かなくなるかもしれない。勝つか負けるかわからないけどやらない限りは負けなのだから、やってみないとどうしようもないじゃないかということですよね。

 

でも負けが確定している勝負だったら、やらない方が安全なのではないか。今営業再開したら多分「負ける」と思います。

対策が甘い状態で営業を再開したら。その結果またクラスターが発生したら。死亡者が出てしまったら。

「ライブハウスのせいで感染者が増えた」という認識を人々に植え付けてしまったら。

その時は本当に未来がなくなるのではないかと思います。

 

先ほど「新しいライブハウスのスタンス」の話をしましたが、あのようなライブに参加して、本当に楽しめるのだろうか?という疑問はやはりあります。

「もしかしたら感染するんじゃないか」「ここでもらって家族や友人や会社・学校の仲間にうつしてしまったら」そんな心配をしながら、心の底から本当に楽しめますか?

あるいは、物販はなく、全員がマスクを着用し、均一に整列してここから動くなと、一言も言葉を発するなと、そんなルールを課せられたものをライブと呼びたいですか?

 

私は「ライブとは何か?」と問われると、「アーティストとオーディエンスの人生の交点だ」という話をします。アーティストからすれば、リスナーのリアクションを間近に体感できる場所、コミュニケーションを図れる場所。オーディエンスからすれば、憧れてやまない大好きなアーティストと過ごせる夢のような時間。普段交わることのない生活を送っているお互いが出会える場所。長い人生の中では一瞬かもしれませんが、かけがえのない数時間。それがライブであり、ライブハウスという場所だと思っています。

 

これからどうなるのかは誰にも分かりませんが、少しでも早く以前のような、自由で楽しいライブが開催されることを祈っています。

 

 

 

 

 

 

きらきら武士に愛を叫ぶ 〜Live音源を今すぐ聴け〜

こんばんは!

Sounds Good!!管理人の真珠丸です!

 

在宅勤務で時間ができたため、ここぞとばかりにブログを更新しております。

 

在宅勤務でいいことって、好きな音楽をかけ放題だってことだと思うんですよ!

私はもう、ラジオやら音楽やら、好きなのを片っ端からかけております。天国です。

 

音楽を聴く時は、大抵Spotifyを使ってかけているのですが、最近サブスクが解禁された、大好きなアーティストがいるのです。

それが、レキシ

 

レキシについては過去の記事でも紹介しております。

soundsgood.hatenadiary.jp

 

 「レキシって何?」という方もいると思うので簡単に説明しておくと、SUPER BUTTER DOGというバンドのキーボーディストだった池田貴文氏(通称池ちゃん)によるソロプロジェクトです。

特徴としては、アーティスト名そのままの通り、「歴史」にまつわる曲を作成しています。あとは、いろんなアーティストとコラボし、コラボしたアーティストにはレキシネームをつけるというところですかね。かなり個性的なアーティストです!

ですが、コラボしているアーティストがかなり豪華でして・・・椎名林檎いとうせいこう秦基博キュウソネコカミ、Gotch、チャットモンチー、かつて同じバンドで活動していたハナレグミなどなど・・・すごくないですか??

これも池ちゃんの人柄なんだろうなあと思ってしまいます。かなり魅力的な方です。

 

そんなレキシの楽曲が、ついに!サブスク解禁ということで!

いろいろ漁ってみたところ、なんとすごいものを発見してしまいました。

 

『きらきら武士 〜Live ver.〜』

 

・・・こんなお宝を転がしておいていいんですか?!?!

(ちなみにシングル『KATOKU』に収録されています。)

 

サブスクやってる奴、今すぐ全員聴け!!!!

と思わずツイートしてしまいましたが、あながち間違いではありません。全員聴け。

 

きらきら武士のライブver.はすごい、っていうかレキシのライブがすごい

はい。私はずっと言っております。多分もう4年くらいは言ってますね。トータルすると3万回くらいになるかと思います。

「きらきら武士のライブver.はすごい」と。

 

前提としてレキシのライブはすごいんです。もはやライブとか音楽とかそういうのではなく、「レキシ」という確立した何かと言った方が適切か。そういう域に達しているのです。

好き放題やっている(ように見える)池ちゃんの、自由すぎるステージ。もはやお笑い、コントなのではとすら思える。なのに、音楽が立派すぎる。

始まってすぐ帰ろうとしたり、なんか謎の大きいセットが作られてたり、曲中だろうがなんだろうが演奏陣に無茶振りしたり。まあもうやりたい放題なんですよ。前行ったワンマンなんて、開演から終演までで3時間超えてたし。フェスで持ち時間超過したとかいう伝説もありますし。

 

そんなぶっ飛んだ最高のライブをやるレキシがよく最後に持ってくる、いわばキラーチューンがこの「きらきら武士」です。

 

アルバムの音源も勿論良いけど、ライブver.聴いたらもう戻れなくなる

 「レキツ」というアルバムに収録されている、ライブver.でない音源が存在しております。

こちらはなんと、椎名林檎様が参加しているというとても豪華な作品となっています。

これも本当に良い。林檎様の上品で高貴な雰囲気が物凄くマッチしているのです。これも絶対聴くべき。

 


レキシ / きらきら武士 feat. Deyonna

 

 

これを聴いた上でライブver.を聴いて欲しい。

先ほども書きましたが、アルバムの音源は「作品」なのです。作品としてはこの上なく素晴らしい。それで満足する人もいるだろう。完全性を求めるならば、計算し尽くされて作られたアルバム音源の方がいいに決まっている。

が、私は生きた音楽が欲しいのだ。完全なんかでなくて良い。生き生きとした音が欲しい。ライブが好きな人はそういう人が多いと思う。その場で直接鳴った音を浴びるのが最高に気持ちよく、幸せなのです。そこにはミスやアクシデントがあることもあるが、それですらその一瞬限定のものであり、特別なものとなるのだ。だからライブは最高なのです。

 

きらきら武士の話に戻そう。

音源とライブで異なる点はたくさんあるのです。ライブの場に林檎様は呼べないので当然です。そこだけ見ればマイナスでは?と思われそうですが、そんなことはない。断じて。

 

ライブver.がどんな感じなのかを簡単に書いておこう。

曲の始まりはかなりメロディックに、甘く、ゆったりと始まる。まずこの時点で収録音源とは違うでしょ?シンバルの音を聴けば、もう夜空にはきらきらの星、じゃなくて武士が光っている。とても美しい。とても情景的。

 

からの、「いくよーー」、そしてハイハットの4カウント。

ここからだ、本当の天国は。

踊り、駆け巡るような軽快なドラムがまず最高。そして、管楽器のツッコミが冴え渡る。惚れ惚れするほどかっこよく、楽しい。管楽器の聴きどころはサビとアウトロだと思っている。アウトロは収録音源ではシンセが担っているのだが、ライブだと管楽器がやることが多い。これがね、たまらないのですよ。ゾクゾクする。コールアンドレスポンスの裏で一緒にリズム合わせているのもとても良いです、一緒に楽しんでいるのが伝わってくる。後半アウトロ部分は池ちゃんもキーボードで参加するんですけど、それもそれでとても良いんですよ、あのふざけ倒しているような池ちゃんの、魂のこもったキーボードプレイ・・・ギャップが凄まじい。

もはや演奏陣から片時も耳を離せないのだが、主役もそれと同等、いやそれを上回る最高さなのである。もう耳が足りない状況に陥ると言っても過言ではない。

初めて観た、聴いた人でものれるように、池ちゃんがリードしてくれる。「手綱!」「兜!」とかね。「何のこと??」と思うかもしれないが、「手綱(兜)をギュッと」でギュッと引く仕草をするのがお決まりなのです。「いやそれが何なの?」と言われると・・・困るのですが。

そしてこれは毎度恒例とも言える「武士」連発。武士のコールアンドレスポンス。これも池ちゃんに全部委ねててOK!全然知らなくても、観たことなくても、誰でもできて楽しめる。これがレキシのすごいところなのです。

 

そして、これが何よりも重要なのですが、「楽しい」をこれでもかと凝縮したのがライブver.だと私は思っている。楽器がどうとか煽りがどうとか書いてきたが、要はこの一言に尽きるのだ。「楽しい」。それだけ。

 

 

どんなアーティストでも、ライブver.はとても良いと思う。これは演奏の上手い下手に限らず。

ライブver.の音源は生身のライブを新鮮な状態でパックして届けてくれるから、その瞬間の熱量やパフォーマンスやアーティストの肉声、観客のリアクションや歓声がそのまま録音されている。そのアーティストを映す鏡のようだと思う。聴いたら絶対に得られるものがある。それが「思ったより上手くないな」という感想になるかもしれないし、「次のライブに行ってみたいな」になるかもしれないが、いずれにせよ心を動かされるのは事実だ。

ライブ音源を聴いた時、私がよく感じるのは「すごい、音源と同じだ」、あるいは「すごい、音源より上手い」という類のものだ。または、自分が行ったライブであれば「あの時最高だったな、また行きたいな」とか。そういう感情。

ただ、この「きらきら武士」はちょっと違った。聴いてる途中で動かずにはいられなかった。おとなしく聴いてることなんてできない。手を振る。身体を揺らす。コールアンドレスポンスをする。無意識のうちに、音源に対して、そんな行動をとっていた。

ここはライブハウスでも広いフェス会場でもない。ただの音源が流れているだけだ。目の前にはレキシも演奏陣もいなくて、ただスピーカーが置かれているだけだ。それなのに、まるで一緒にライブを作っているかのような感覚になった。物凄い高揚感。何なんだこれは。

 

そもそものレキシのライブの半端ない熱量、演奏陣の卓越した演奏力、アドリブ力、さらにその時のライブの観客、アーティスト双方のMAXを超越したテンション・・・

そういうものが全部全部てんこ盛りになって、そのままの形で収録されたのが『きらきら武士 〜Live ver.〜』なのである。言ってしまえば、超高級かつ鮮度120%の贈り物。

どうです?聴いてみたくなりません?一緒に武士 in the skyしません??

 

存分に語りました!

『きらきら武士 〜Live ver.〜』

語りました!だいぶ語りました!

もうこの曲に関しては語りたいことが山ほどあったので、満足です!!

もし「聴いてみたいな」と思ってくださった方、サブスクにはあるようなので、ぜひ「きらきら武士」と検索していただければと思います。

そして、そこからさらに「生で実際に体感してみたい!」なんて思ってもらえたのなら、とても嬉しいです。ライブに行きましょう!

本当に本当に最高な楽曲なので、是非是非!一度でも!騙されたと思ってでも良いので!聴いてみてくださいませ!

そして、レキシに限らず、いろんなアーティストのライブ音源を聴いて、「ライブ行きたい」と思ってくださる方が1人でも多くいてくれると良いなと切に願っております。今エンタメ業界は大変な時期ですしね。

終息したら、皆で武士 in the skyしましょう!!

 

 

きらきら武士~Live ver.~

きらきら武士~Live ver.~

  • レキシ
  • J-Pop
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

 

 

きらきら武士 feat. Deyonná

きらきら武士 feat. Deyonná

  • レキシ
  • ロック
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おうち時間、どう過ごす? 〜おうちで楽しめる管理人おすすめコンテンツ その2〜

こんばんは!

Sounds Good!!管理人の真珠丸です。

 

感染者数は減ってきたものの、まだまだ油断できない状況が続いていますね。

あともう一踏ん張り!もう少しおうち時間を過ごして、楽しい夏を迎えられると良いですね!

 

さて、前回から「おうち時間、こんなコンテンツがおすすめだよ!」という話をしております。

前回は主にラジオの話をしてきましたが、今回はまた別の話です!

 

まずは、もはや世界を救っていると言っても過言ではないおうちコンテンツ!

 

3.ゲーム

皆さんはどんなゲームをプレイしているでしょうか?

私はですね、ご多分に漏れず「あつまれ どうぶつの森」に熱中しております。

持ってなかったんですよね、Switch!

運よく同梱版が当たったため、購入しましたが、本当に買ってよかった!

今は家族で島を行き来しております。

一人暮らしをしている弟、半分一人暮らし?している私、実家の母。

やはり年齢を重ねて親の手を離れると、コミュニケーションも希薄になりがちです。

そんな時に購入したSwitch(私は実家の分も購入しました)のおかげで、家族間の話題は尽きません。

いろいろ不安なご時世だからこそ、こうやって同じ話題で盛り上がれるのは本当に嬉しく、任天堂様様だと痛感しております・・・。感謝の手紙を送りたい所存です。

 

ちなみに、私はあつもりに飽き足らず、スマブラを購入してしまいました・・・蘇る青春・・・。全ファイターを出しました。

 

物心ついた時からずーっと任天堂のゲームをやってきており、高校時代には編曲した任天堂ゲーム音楽メドレーなんかも演奏したくらい、筋金入りの任天堂ファンなのです。

趣味レベルで作った任天堂メドレー、こそっと置いておきますね。我ながらクオリティ高めなので、もし良ければ!

soundcloud.com

 

あと、スマホゲームなら専らグラブルこと「グランブルーファンタジー」ですね。

BUMPが主題歌やってたし!!!まだまだ始めて1年未満のひよっこ騎空士ですが楽しくやっております!

 

 

4.オモコロ

オモコロというのは、株式会社バーグハンバーグバーグが運営するインターネットサイトのことなのですが、ご存知の方いらっしゃいますでしょうか?

バズる広告記事を書いたら日本一のARuFaさん、Twitterで見たことある方も多いかも。

私はかれこれ何年だろう?結構長い間このサイトのファンをやっております。こっそり。

omocoro.jp

 

本当に本当にくだらない内容から、お腹を抱えて笑ってしまうものまで、たくさんのコンテンツがあります。時間は潰せます。ただ得られるものがあるかどうかは保証できません。

でも古き良きインターネットコンテンツを継承しているこの雰囲気がとても好きです。

精神的にきつい時、何も考えたくない時など、私は数々の場面でこのサイトにお世話になってきました。くだらないって最高!

私のおすすめは、オモコロラジオです。曜日ごとに番組を変えてネットラジオを配信しているのですが、これがまた!

ラジオ局が放送するラジオとはまた違った良さがあります。個人的には「匿名ラジオ」が殿堂入り級の面白さですが、「漫画犬」「モンゴルナイトフィーバー」とかも好きです。人の話し声って落ち着くんですよね。

 

youtu.be

 

笑いたい時、人の声を聞きたい時、「くだらねー」って笑い飛ばしたい時、なんでもいいから時間を潰したい時、ぜひオモコロのHPを覗いてみてください!

 

 

5.音楽

一応音楽ブログなのでこれは絶対に外せません。

CD発売延期、ライブは延期あるいは中止という、エンタメ業界にとっては厳しい状況の中で、それでも私は音楽に力をもらっています。

仕事中に好きな音楽をかけたり、Spotifyで気になってた音楽を片っ端から漁ったり。

音楽があるだけで、毎日に彩りがある、そんな気がします。

自粛期間が終わったら、CDや雑誌を買ったり、ライブに行ったり、

しっかり恩返しをしなくてはなあなんて思います。

クラウドファンディングとか、たくさんやっていますよね。協力したいけど自分の生活もいっぱいいっぱいだという人もたくさんいると思います。無理せず、自分のできる範囲で応援することが大事です。

ライブやフェスに行けない間、私はいろんな音楽をたくさん聴いて、知らなかったアーティストや曲の知識をつけて、いい音楽たくさん吸収して、

次そのアーティストが活動した時にきちんと応援できるようにする準備をしておこうと思っております・・・!ただの音楽ファンや!

 

アーティストさんたちもいろんな方法でおうち時間を盛り上げようとしてくれてますよね!新曲配信、リモート演奏、過去ライブの配信などなど・・・

頭が下がります。

ちなみに私は最近、BUMPがPATHFINDERのたまアリライブをYouTubeで公開したと知って見たのですが(※Blu-ray購入済)、まあ感動しましたね。ライブ全然行けてなかったのでね、今年入ってから。

早くライブ見たいって、またあの空間にいたいって、心の底から思いました。

そのためにはもう少し、おうちで大人しくしてなきゃいけないな。でもあんなに素晴らしい音楽体験ができるなら、このくらいの我慢なんてなんのその!です!

 

2回に渡って、おすすめのおうちコンテンツを紹介してきました。

久々の更新でまだ勘を取り戻せていないのですが(おい)、これからも少しずつ更新して行けたらと思います。

皆様もお身体に気をつけて、楽しいおうち時間をお過ごしくださいませ!

 

 

#おうち時間 #STAYHOME